見出し画像

フランス語コンクールを終えて【2024】

ちょうどひと月ほど前、2024年度フランス語コンクールが日仏会館にて開催されました。

僕は自分が出場した2014年(10年前…)以来、なんだかんだ見に行ける年は毎年見に行っています。

今年の入賞者であるフランス語学習ライオンさんが記事を公開されています。
実名は表立っては明かされてないように思うので頭文字でUさんと呼ばせてください。

Uさんにコンクールマニアと呼ばれてしまったので、何も書かないわけにもいかないなと思い筆を執っています。

僕の生徒さんも二人ほど出場を目指して一緒に準備していたのですが、今年は出場叶わずでした。
第一次審査の書類選考に通過できなかったのです。

コンクールを終えてみて、原稿やフランス語のレベルを総合的に考え、決勝出場者に比べて僕の生徒さんたちがそれほど劣っているとは思えませんでした。
ただ、お二人とも前年、2023年のコンクールに出場経験がある方だったのもあり、初出場の他の候補者を主催者側が多かれ少なかれ優遇した可能性は十分に考えられます。
(僕自身の力不足の可能性については再三考慮した上で)

そんな中、唯一の出場経験者として今年の決勝に臨まれたのがUさんです。
前年に引き続き2度目の出場、と本人も書かれていますが、本当に堂々たるスピーチでした。
2年目の挑戦というハードルを跳ね除け、雄弁さとユーモアを兼ね備えた発表で圧倒的な存在感を見せていました。

僕がコンクールマニアということが何故かUさんにはバレており、去年の決勝大会後、スピーチのフィードバックをしてほしいとの依頼がありました。
スピーチのクオリティはすでに高かったのですが、質疑応答に改善点が(だいぶ笑)あったので、それをお伝えしました。
今年はその点も見事にレベルアップしており、ほとんど隙のない発表になっていたと思います。

にもかかわらず2位という結果。
Uさん本人も「自分が優勝だろうと思っていた」と書かれていますが、なぜ1位ではなく2位だったのか、僕も正直わかりません。
僕は審査員ではないですし、毎年審査員は少しずつ入れ替わりますし、仮にまったく同じメンバーだったとしても一律の審査基準があるわけではないような気がします。

1位の方の原稿を改めて読んでみました。

スピーチコンクールは、入賞者のスピーチ原稿が決勝大会後しばらくすると公開されます。
上級1位入賞者の方の原稿を改めて読んでみました。

1位の方も頭文字でMさんと呼ばせていただきましょう。
MさんとUさんの原稿を並べてみると……甲乙つけがたい、ということになると思います。

お二人とも「極力みんなが知っていることに言及するのは控え、あくまで個人的な体験、エピソードを入口としつつ、私にしか話せないことを中心に据え、さらにそれを社会的な問題に接続し、今を生きる人間すべてに還元できるようにするという曲芸のようなこと」を達成していました。
(引用は去年、僕が書いた記事から)

とはいえ、「問いへの応答」「言葉の定義」の2点において、たしかにMさんにやや軍配が上がりそうです。
今年の上級のテーマ「コミュニケーションの発展は質を保証するか?(Est-ce qu'on communique mieux de nos jours ?)」に対して、
「コミュニケーション」を自分の言葉でしっかり再定義し、かつ、私たちにとってよりよいコミュニケーションが可能になる(on communique mieux)根拠を示す、ということをMさんは丁寧にこなしていました。

ただ、僕がこのような感想を持つに至ったのは改めてMさんのスピーチ原稿を“読んだから”です。
決勝大会当日、発表を聴いたその瞬間には上記のような印象は抱きませんでした。

みんなもっと発音を頑張った方がいい

Mさんの発音はなめらかで、流暢でした。おそらくフランス語があまりわからない人が聴いたら「いい発音」に聴こえるのではないでしょうか。
(コンクールの出場者にはそういう方が多いです)

ただ、「伝わりやすい発音」だったかというと、そうではありませんでした。ところどころ聞き取りづらかった。
おそらく、ブラジルで育ったというバックグラウンドから考えられるに、ブラジルポルトガル語訛りの影響もあったのかもしれません。
(Mさんを貶める意図は一切ありません。コンクール決勝出場者の方に対し、正当な批評ができるよう努めています)

2位入賞のUさんの発表を僕がいちばんいいと思った最大の理由はシンプルに「発音がよかったから」です。
一聴した“なんとなくフランス語っぽい響き”に限れば、会場にいた多くの方がMさんの方がよかった、と言うかもしれません。
ただ、「フランス語っぽい(よく言えば柔らかい、悪く言えばゴニョゴニョとした)発音」が必ずしも「いい発音」とは限らない。
「発音がいい」条件とは、何よりもまず「しっかり伝わること」だと思います。

その点、Uさんの発音は正確かつ明瞭で聞き取りやすく、抑揚のつけ方に関しても申し分ありませんでした。
「最初から最後まで何を言っているかわかる」、これができていたのは中級を含めた全出場者の中でUさんただ一人だけでした。
(それだけでも優勝に値する、と僕なんかは思ってしまうのですが、考えてみればちょっと悲しいものです。
スピーチコンクールなんだから、内容が伝わるのは優勝の条件ではなくあくまで前提、というのが本来あるべき姿ではないでしょうか)

ともかく、しっかり伝わる発音は意識した方がいいと思います(フランス語では何をおいても母音の発音が大事。Mさんは流麗な子音の発音に対して母音の発音の不正確さ、不十分さが目立った)。
Uさん以外の出場者の方の発音がところどころ聞き取れなかったのはもしかしたら僕の理解力の方に問題があるのかもしれませんが、
少なくとも上級に出場するような人であれば、僕程度の理解力を持った観客に一語一句聞き取らせるくらいの「発音のよさ」は持っていてほしい。

(入賞者のスピーチは日仏会館のYouTubeにて公開されています。気になる方は見に行ってみてください)

審査のブラックボックス

ただ、発音が果たしてどの程度最終審査に影響するかというのは、実際のところわかりません。
発音のよさや身体の使い方、抑揚、全体のリズム、そしてユーモア……ひとこと「パフォーマンス」に関しては、Uさんの右に出る人はいなかったでしょう。
けれど最終評価でMさんが上回ったとすれば、考えられるのは「原稿のクオリティ(≒内容)」に対する配分が大きかったということです。

けれど、これはスピーチコンクールという性質を鑑みてよくよく注意を払わないといけません。
なぜなら「スピーチ原稿」が採点の大部分を占めるのであれば、Uさんがおっしゃるように最終的には「論文でええやん」になるからです。
(審査員は手元に原稿を持っており、発表者の発音がどれだけ悪かろうと内容がわかるようになっています)

それに、僕も自分の生徒さんの原稿に手を入れているのでわかりますが、
出場者の原稿が100%その人の手によるものだという保証は一切ありません。
というか、まずその必要がありません。

自分で書いた原稿だとしても、少なくともネイティブチェックは通すべきだし、
先生に頼んでゼロから一緒に書いたっていいし、ここ数年に至ってはChatGPTに頼んで書いてもらったっていい(実際にそうしている人も少なからずいるでしょう)。
教師であれAIであれ、ゴーストライターの存在を漂白することは事実上不可能です。

だからこそ、質疑応答が重要になります。
上級は6分間、中級は5分間、スピーチの後に質疑応答の時間が設けられていて、審査員の質問にその場で答えないといけません。
よくも悪くも、実力が伴っていなくてもスピーチ原稿は用意できてしまいます。発表も、要は暗唱なので、練習すれば誰でもある程度のレベルまでは持っていけます。
けれど質疑応答は即興なので、地力がないとどうにもならない。

質疑応答は、リアルなコミュニケーションの場です。
審査員の質問に即座に答える、高度な瞬発力が要求されます。
ただ、肝心の質問ですが、発表に広がりを持たせるような的を射た質問もあれば、ときに回答者を困らせる要領を得ない質問もあったりします。
そのあたりのゆらぎも含めての勝負になるんでしょうけれど、質疑応答における当意即妙なパフォーマンス(ジョークで笑いを取る、など)については、個人的に配点が大きくあってほしい。

減点方式の仏検はもちろんのこと、DELF/DALFについてもある程度採点基準が明らかにされています。
僕も昔参加したフランス語教授法の研修で教わったことがあるし、自ら試験官を目指せばそこでも勉強できます。

ただ、スピーチコンクールの審査基準は闇の中です。審査員6人というかなりクローズドな世界でしか共有されません。
試験とコンクールは別物だし、運営上そこまでオープンにはできないでしょうけれど、公にならないとしてもせめてある程度一貫した採点方式があってほしいと思います。
でないと、審査員一人の「なんとなくよかった」が力を持ちすぎることになるし、
それがある年は原稿重視、またある年はパフォーマンス重視となっては、出場者がどこを目指して準備すればいいのかわからなくなってしまいます。

とはいえ、僕が毎年見ていて「え、その人が1位?ありえない!」みたいな人が優勝したりすることはないので、
僕の感覚と運営側の審査基準の間に大きなズレはないように思います。
ただ、人は小さなズレが気になるものですよね。

余談(と宣伝)

Uさんと話していて気づいたことがあります。
「志村さん、コンクールだいぶ好きですよね!なんでそんな熱いんですか?」と驚かれてしまったのですが笑、
それは概ね僕の不完全燃焼によるものだ、と判明しました。

僕は2014年、原稿締め切りの数日前にたまたまコンクールの存在を知り、ろくにネイティブチェックも通さず、というかその時間すらなかった状態で
勢いで一次選考に通過してしまい、フランス語パフォーマンスだけは留学帰りで冴えていたのもあって中途半端に入賞してしまいました(Uさんと同じ2位)。
ちなみにコンクール全体のレベルはこの10年で上がっていると思います。

Uさんは今年のコンクールに向け力を「出し切った」とおっしゃっていました。
持てる力の限りを尽くして、その結果の2位。
おそらくUさんの場合、審査の在り方に対して納得の行かないところはあれど、自分の行い、やってきたことに対しては曇りなく満足しておられるのではないでしょうか。

一言で言います、

羨ましい笑

僕も全力を「出し切った」と言ってみたかった。
「まだあれもこれもやれた」状態での2位と、「できることは全部やった」上での2位は意味合いが大きく異なります。
けれど10年前になまじ航空券つきの賞を取ってしまったばかりに、再挑戦の権利を永遠に失ってしまいました。
今はこれだけ自分の中に方法論の蓄積があるのに、です。

「力の限りを尽くしてステージに立ち、優勝を目指す」という二度と叶わぬ夢を、僕は自分の生徒さんの後押しをすることでなんとか成仏させています。
完全にアレです、道半ばでピアニストになる夢を諦めた親が子どもにピアノ教室に行かせるのと同じ構図です。

まぁそれでもいいじゃないですか。
いいですよそれでも。
って思ってくださる方、魂を込めてサポートしますので、来年以降のコンクール出場をお考えであればぜひご一報ください。

いいなと思ったら応援しよう!