語学は勉強するな?

ポリグロット(多言語話者)系売れっ子Youtuberが書籍を出すのは、もはやお決まりの流れになったようです。

今年もそんな本が一冊出ました。もちろん中身は読んでいません。
著者のYoutuberさんはもともと知っていて、おすすめタイムラインに上がってくるのでいくつか動画を観たこともあります。

オンライン上で外国人とまずは英語で会話をし、途中で相手の母語に切り替えてサプライズをしかける!という予定調和?は語学力の使い道として僕は好みませんが、
あれが“バズる”のはよくわかるし、当のYoutuberさんに対する素直なリスペクトの気持ちもあります。

僕に彼の語学力を測る余地は(フランス語以外)ありませんが、見ず知らずの外国人とフリートークで盛り上がれる、というのは外国語学習における一つの高みです。
どこからどんな話題が、どんな単語が飛んでくるかわからない。それに瞬時に応えて、笑いまで取ってしまう。
もともとのコミュニケーション能力が高いのもあるでしょうが、簡単にできることではないし、そこに至るまでの努力は称賛に値します。

だからこそ、そんな彼の(おそらく初の)著書に「語学は絶対勉強するな」という帯文がつくことが僕はたまらなく悲しいのです。
あぁ、「勉強してない」からあなたのフランス語はそのレベル止まりなんだね?という皮肉はここでは封印しましょう。
それに帯文というのは、著者ではなく編集者や出版社の人間が考えるものです。著者に非があるわけではない。

「勉強するな」系の煽り文句は今に始まったものでもありません。
その狙いは単純で、誰しも経験のある受験英語や検定試験等に向けての文法学習、それらすべてを「勉強」の一言に集約させ断罪する。
「今まで当たり前だと思っていたことが悪かったんだ」という意識を消費者に刷り込み、「画期的な他の方法がある」と思い込ませることで購買に繋げる。
ビジネスではありふれた常套手段だからこそ、この上なく下品です。

「勉強」は、僕らが外国語を習得する上でもっとも有効なツールです。
自分が母語をいつの間にか習得したようには、それとまったく同じようには第二言語の習得などできるはずがない。
自分の人生は一つしかない。もう一つの人生を経験することも、他人に生まれ直すこともできない。
だから「勉強」するんです。

単語帳がある。文法書がある。言語によっては検定試験まである。
こんな恵まれた環境はありません。すべて先人がその言語との距離を少しでも縮めようと築き上げてきたもの。

生身で泳げないから橋を渡す。手で切れないから包丁を使う。
そのままではいきなり外国語なんて喋れないから勉強するんです。
それを「使うな」と言い張ることの愚かさに気付いてほしい。

もちろん、今の時代だからこそ使えるツールはたくさんあります。
「デジタル時代の恩恵をフル活用する」というのは当の書籍の目次から借りた文言ですが、使えるものは使えばいい。

決して「勉強」が悪いわけじゃない。その意味の捉え方が悪いだけ。

「ぜんぶ使え」でいいじゃないですか、帯文。

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