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出会いが探求の活力と道標になっていく 『娘と息子に遺す父の挑戦〜人生を探求して見つけたこと〜』

 2020年4月、大海に出るとそこはコロナ禍という大荒れの状態だった。
 ある人からは「この状況は辞める前にわかっていましたよね⁉︎ それでも退職されたのですか?」
 愚かだけれど、こう言われて改めて状況の判断など何も考えていなかったことに気付き、自分に呆れたところもあった。

 この状況に、プログラムを導入してくれるはずだった大規模な学校が2校見送りとなってしまった。
 参画を前向きに考えていた、トライアルに協力してくれた企業も、軒並み不参加を伝えてきた。

 「こんなはずじゃない!」
そもそも事業計画なんて緻密に思考できていたわけではなかったが、併せて悪い想定も想像もできていなかった。
 プロジェクト自体凍結なのかもしれないという事態には、さすがに不安を通り越して恐怖に似た感覚に襲われた。

こんなはずじゃない

 当面十分な給与は期待できないから、いずれ退職金を食い潰しながら乗り切っていくのだと、頭では想像していたが、頭の中で空想していただけで実感なんて持てていなかったのだと、自覚することになる。
 生きていけるのか、金銭面の不安が現実味を帯びてどっとのしかかってきた。

 夫の大きな決断に「やってみれば」と承諾してくれていた妻は、金額こそ下がるけれど生きていくに困らない程度には給与を持ってくるのだろうと想像していたらしく、「当面給与はない」という事実を知ると、「聞いてないよ」と、驚きと困惑に包まれていた。
 ある日の早朝、妻がベッドにいないことに気づきリビングに降りていくと、不安に襲われて眠れず、足を抱えて丸くなってソファーに横たわる妻を見た。
 申し訳なさと、どうしようもできないもどかしさ。
 この時、とにかく「妻のために頑張ろう!」という新たな目標ができた。

 とはいえ、何をしていても不安な気持ちは抜けない。
特にジョギングをしているといろんな不安や恐怖が頭の中を駆け巡り、自分を後悔へと導き、地の底に落としていくようだった。
 大きな決断をして意気揚々と大海に出たはずなのに、恥ずかしながら動き始めてもいないのに現実に負けて精神状態は完全に萎縮していた。

ジョギングは不安を掻き立てる時間と化した

 こんな状態をどうやって抜け出したのか、当時は自覚していなかったが、いま改めて当時のメモを読むと、周囲からいろんなエネルギーをもらっていたことに気付いた。
 当時は、一人で苦悩し、孤独の中でもがいているようだったが、いろんな人がいろんな勇気をくれていたのだなと思える。

 4月上旬、プログラム参画をお願いにT社の茂見さんを訪れた際、豊澤社長とバッタリお会いした。
 「いざ転身したら大荒れの海でした」と言うと、豊澤社長は私にこんなことを言ってくれた。
 「案外その方が良いですよ。先代もバブル崩壊と同時期に転身して、この会社の前身をつくりましたし。」「コロナが落ち着いたら一気に加速できるように、いま必死に開発部中心に、新技術の開発に勤しんでいますから、楽しみにしていてください。」
 今できることを必死に頑張る実践者から言われた、「こんな時だからこそ良いんだ」という言葉が胸に残った。

目の前の見え方が変わっていった

 S新聞の那須さんからご縁をいただいた元Y市議の伊藤さんとお話しすることができた。
 伊藤さんが言う「官でも民でもない、良い塩梅の存在になる」という考え方を知り、ズバリ自分がやりたいことが表現された感じがした。これ以降自分の存在を語る言葉を見つけた機会だった。

 同じく4月上旬、キャリアコンサルの柴田さんとオンラインでお話しした際言われたこと。
 「これからの世の中は、状況の変化と想定外をどう乗り切っていくのか、想定外を受け入れて元気に頑張っていけるか、そういう力が求められる。越境、協働、主体などなど。
 八木さんはまさにいま直面している状況をどう乗り越えていくのか、乗り越えた時には自分のストーリーとして、これからの必要な力を語ることができるね。」
 今の状況だからこそ、乗り越えたら自分の物語をつくれる、マイナスは見方を変えれば最強にもなりうるという考えは、意表を突かれた、「今の状況」に初めて価値を感じられる言葉だった。

 あるコミュニティーで知り合った英作さんに伴走コーチをしてもらったことがあった。
 一緒にミッションを考える中で、私の天職は「発動プロデューサー」、関わった人を喚起させていくことがミッションだということを紡ぎ出していくことができた。
 自分の使命が意識できたことは、生きていく勇気にもなった。


 自主退職して大海に出た頃は、本当に迷走する日々だったが、人を浴び、彼らからもらった言葉や考え、あり方が、ぐらぐらしながらも前に踏み出していく勇気と活力になっていた。
 この頃も、そして今も、いろんな人がいろんな人と繋いで新たなご縁をくれる。ご縁とは、自分にないものをくれる宝物だと思う。
 繋いでもらえるということは、本当に幸せなことだし、周囲の人に助けられて大しけの海を旅ができたのだと思う。

 参考になるかわからないけれど、この頃1つ心がけていたことがある。
それは心書(お礼状)を書くこと。そんなに上手ではないけれど、筆文字で想いを文字にし、手書きで感謝の言葉をしたためた。
 出会った方々には、ほぼ例外なく必ずこのお礼状をお送りしていた。
 ある時「八木さんから送られてくるあの葉書が、なんだか刺さるんだよね」と言われたことがある。
 心書がご縁繋ぎに一役買ってくれていたのかもしれない。

ご縁の架け橋になっていたのかもしれない心書

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