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タワー・マンションとミッション

スタートアップをやっていると、ミッション、ビジョン、バリュー(俗にMVVと呼ばれたりするけれども、この三つの概念的区別は実際のところ使用者によってバラバラだったりするわけです・・・)と呼ばれる標語のようなものを掲げなくてはならず、「おたくのミッション、どんな感じよ?」なんて聞かれることもしばしばなわけです。「ミッション・・・特にないんだよなあ・・・」なんて言おうものなら、「そんな使命感のないやつがスタートアップなんかやるなよ!」「社会を変えてやる!とか、そういう意気込みはないのか!」なんて袋叩きにあいそうなものですが、素直に「お金持ちになってタワーマンションに住みたい」とでも掲げればいいのでしょうか。僕は高所恐怖症なので低層マンションの方がいいんですが、「いい低層マンションに住みたい!」なんて言おうものなら欲望の内容がリアルすぎてより一層袋叩きに合うこと間違いなしです。

なぜ、ミッションなんてものをスタートアップは掲げるのでしょうか?お金持ちになってチヤホヤされたい、ないしはただビジネスやるのが好きなだけで特にミッションとかないっす、みたいな社長、そこそこいると思うんです。しかし、実際には多くの会社で美しいミッションが掲げられているわけです。まあ、これは単純な話で「オレのタワーマンションに住みたいって夢を実現するために、みんな、頑張ってくれよな!」なんて言おうものなら人がついてこないわけです。素直でよろしい、って説もあるんですが。

もちろん、スタートアップの中には「お金持ちになってタワーマンションに住みたい」ってことなんて全く興味がなくて、どうしてもこんな世界をつくりたいんじゃ!っていう強烈なミッションを抱いて本気も本気で毎日を駆け抜けている会社もあって、こういう会社は純粋にすごいな・・・と畏敬の念を抱かずにはいられないわけです。

ただ、下心があるにせよないにせよ、ミッションというものは大概どのスタートアップにも存在している。それは複数のバックグラウンドが異なる人間が共同で作業していくために必要な北極星のようなもので、少なくとも同じ目的や目標にむかって進んでいるのだということを明示することで、組織の一体感を強くしていく仕掛けなわけです。接着剤みたいなものだと思います。とりわけ人間は物語を欲するから、社長をタワーマンションに住ませるぞ!っていう目標では一致団結はできなくても、テクノロジーで社会をより良くするぞ!っていう目標だと案外一緒に協働できたりするものなのかもしれません(実際には「より良い状態」ってなに?そもそも社会って?みたいな大事な問いにはふたをされたままだったりもするわけですが)。

かくある自分もミッションを考える、ということを昨年してみたわけです。Empathはしっかりとしたミッションをつくらないまま走ってきたのですが、僕らはいったい何を大切にしたいと思う組織なのかを改めて考えなければならない必要性に迫られました。メンバーが増えるにつれ、異なる価値観がぶつかってすれ違いが生まれてしまったり、各プロジェクトが一体何のために遂行されているのか分からなくなってしまったり、そもそもなぜEmpathという会社でいまみんなが仕事をしているのか、という根源的な問いに行きついてしまったり・・・組織というのは面倒なもので、この面倒さとの対峙が人間同士集まって何かをするときの醍醐味でもあるのですが、こうした「面倒さ」と対峙していくためには会社として目指す世界像が接着剤として必要になるのです(接着剤とはいってもみんなを同一化するような原則であってはならない、あくまで違いを受け入れたうえで走っていく方向はこっちだよ、と示すものであるべきだと個人的には思っています。じゃないといとも簡単に排除の構造を生んで全体主義化する。とはいえ、難しいのは、スタートアップに関しては時期によって全体主義の方が経済的な成功をおさめるうえでよりよく機能しちゃったりする点なのですが・・・これは資本主義の構造自体の問題だと思っています)。

これが結構大変な作業で、頭をうんうん唸らせながら何度も何度も推敲をしたのですが、気づいたらポエムのようなものができあがっており、自分でも愕然としました。それはある種の資本主義との相いれなさを内包した宣言のようになってしまったところに自分でも戸惑いがあったからだと思っています。僕のように人文科学畑から資本主義に片足を突っ込むと、基本的には葛藤ばかり生まれます・・・これを「考えすぎ」と言われることもあるわけですが、もはやここまで来ると祈りみたいなもんです。でも、僕はこの祈りにとっても愛着がある。

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「共感で声を響かせる」、なんのこっちゃ?って話だと思うのですが、そのなんのこっちゃ?に対してアフォリズムのような文章がついている。このアフォリズムの一文一文に対して注がつき、場合によってはその注に対してさらに注がつくという、とんでもない代物ができあがってしまいました。

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音声を中心にコミュニケーションを扱うEmpathとしては「声」の持つ力をまずは確認するところからはじめたかった。僕らがいま生きている世界は数々のコミュニケーションの遂行の結果として存在しているわけで、だからこそ私たちがいま発している「声」(これは音声としての声にとどまらず、コミュニケーション行為全般をここでは「声」として命名しています。だから沈黙すらもメッセージを含んでいるという意味では「声」でありえます)は過去もそうだったし、今も社会のありかたを創造しているわけです。そして英語のVoiceが動詞としては「自分の意思、意見をいう」という極めて民主主義的な行為であるところも、「声」に注目した所以です。

非常に細かい、けれども重要な点であるところは声が駆け巡る領域を地球(globe)ではなく惑星(planet)としたところです。globalという言葉がアメリカを中心とする略奪的で植民地主義的なグローバル資本主義を想起させてしまうのに対して、気候変動を中心とした地球規模の課題をglobalな視点ではなくすべての生物を包含するplanetaryな視点で考えることに対する祈りをここにこめています。この点は比較文学者ガヤトリ・スピヴァクのplanetary概念を参照しています。

Planetaryな視点の中で声の創造性を確認したうで、声がもつ切断性にも注目していきます。

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声には私たちの思考、感情、が現れるという点で私たちそのものであるともいえ、だからこそ私たちの弱さも声を通して惑星をかけめぐり、その弱さが他者を刺してしまう。コミュニケーションのすれ違いによる争いというものは本当に頻繁に発生するもので、そうしたすれ違いに対してどう対処すべきなのか、Empathは今も悩みながらこの問いに対して組織として、そして製品という形でいくつかの回答をしようと奮闘しています。

私たちの弱さがのっているという意味で、声は、特に他者の声は非常に「重たい」。この「重さ」を面倒だと思いはじめてしまうと、私たちは他者と思考や感情を共有することをやめてしまう。この声の「重さ」から逃れてきた代償が世界的なポピュリズムの台頭であり、トランプの大統領就任だったりするわけですが、こうした政治的情勢に限らずとも「コミュニケーション・コスト」の名のもとに対話を切り捨ててしまう風潮は、多かれ少なかれどんな職場にも存在している問題だと私たちは考えています。

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したがって声は私たちを結び付け、連帯させるきっかけにもなるし、私たちを切り離してしまうきっかけにもなりえます。声を発することは次第に面倒になってくるし、声を発さなくても「分かり合えている」という幻想のなかで同質的な仲間とだけ付き合うようになってしまう現象はSNSを中心とした昨今のコミュニケーション・テクノロジーの弊害でもあるでしょう。

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そうした声の二面性、すなわち創造と切断の力を確認したうえで、私たちたちは「共感」を武器として声の創造力を増幅させる道を選びます。

「共感」とはなんでしょうか?私たちは声を発する人が置かれている状況に対して配慮をすることを「共感」と呼びます。すべての声にはその声を発した人の個別具体的な状況(個別性)と、その声が発せられるにいたった過去の積み重ね(歴史性)が含まれており、この個別性と歴史性はそれぞれの声に固有なため、私たちが普段もっている思考の枠組みを外れてしまうことがほとんとです。私たちの普段の慣れ親しんだ考え方を他者の声ははみだしていきます。だからこそすれ違いも生じるし、だからこそ私たちの思考の枠組みから飛び出して新しい世界を共に創造することもできるのです。個別の声は表面的な言語内容を超えて個別性と歴史性をもっている、そのことに対する配慮が「共感」であり、この「共感」を通して相いれなさとともに他者と共に世界を創造する、それが声という諸刃の剣に丸みを与えることだと私たちは考えています。

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他者の声の個別性と歴史性に配慮することにより、声は惑星を循環し、新しい社会を創造していきます。この声の循環をとめずに、惑星に声を響かせ続けて繰り返し社会を創造していくこと、このことを「共感で声を響かせる」と私たちは定義し、会社のミッションとして設定しました。そして「共感で声を響かせる」ことで、タワーマンションへの道を一歩一歩駆け上っていくのです!

と、ここまで書いてきて、これが果たして企業のミッションになりえるのか?という点に関してはいまだに自分でも逡巡している部分があったりします。このコミュニケーションの理想の姿って、本当に企業の中で達成できるのか?資本主義の目指す画一性や速度と相反している以上、資本主義の中で追及できる世界像なのか?効率化の名のもとに、コミュニケーションですらも生産性の問題として還元されてしまうのですから。

ただ、対話の文化形成を断念して、偏狭なミッションでメンバーに同質化をせまる、ないし異なる思想を持ったメンバー同士がお互いの「正義」の名のもとに一方の排除や同質化をせまるような方向性にならない組織をつくることが、「共感で声を響かせる」プロダクトを届ける端緒になるはずだと、自分は信じています。

感情、という機械にとって本来扱いづらく、かつ人間同士においても「面倒な」対象を最初の題材としてコミュニケーションを探求する旅に出たEmpathとしては、効率化と同質化という罠に陥ることなく、このコミュニケーションの「面倒くささ」を受け入れたうえで、声がやむことなく循環する社会をつくるためのテクノロジーを創っていきたいと思っています。まだ見ぬタワーマンションを目指して。

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