人間万事塞翁が馬
これまで個人ブログでつらつらとしたためてきた自分の日記を、この機会に読み返してみた。
どこへ行ったとか、そこで何をしたとか。
文字通り個人的なことをつづった、ヤマもオチもない日記ばかりだ。
けれどそんな盛り上がりに欠ける日記だからこそ、その時その場所で感じたことが、赤裸々につづられていた。
読み返さなければ思い出さなかったであろうささいな出来事でも、思い出した瞬間、胸のうちにぶわりとアツく湧き上がる感動があった。
今回はそんな私的な日記の中から、オーストラリア旅行での印象に残っているエピソードをお伝えしたい。
初めての海外旅行
2017年11月。私は無性にオーストラリアへ行きたくなった。
理由は二つ。
一つは、2019年にエアーズロックの登山が禁止になるという報道を目にしたから。
二つめは、その年のはじめ、せっかく同僚から誘われたのにお金がないことを理由に断ってしまい、後悔していた場所だったから。
いま行かなければ、この先もずっと後悔する。早めに計画を立てて、毎月コツコツお金をためていけば行けるはずだ。私はオーストラリア旅行を決めた。
当時27歳。初めての海外旅行計画だった。
正確には、中学生の頃の修学旅行で一度だけカナダへ行ったことがあるけれど、たくさんの大人に見守られて安心安全に楽しませてもらえた修学旅行とはちがう。
自分で計画を立てて、自分で予約して、自分でトラブルに対処する。
そんな旅行がしてみたいと思った。
……でもやはり一人では不安だったから、結局、海外一人旅に慣れている友人に声をかけて付き合ってもらうことにした。
最初のトラブル
オーストラリア旅行日記は、2018年4月20日から始まっている。
「無事につきました」という書き出しに、「ケアンズ経由でエアーズロックへ行くという行程だったのですが、まさか空港の国際線と国内線があんなに遠いとはね」という愚痴めいた呟きが続いていた。
そう、成田空港からケアンズ国際空港へ行くまではよかったものの、ケアンズからエアーズロックリゾートへ行く国内線の乗り継ぎに失敗したのである。
言い訳をすると、空港に着いてから拙い英語で二人の人に尋ね、念入りに場所を確認していたのだ。二人とも「右に行け」としか答えなかったし、
実際、ゲートを出てすぐ右側にチェックインカウンターが見えたことですっかり油断してしまっていた。
到着時刻は朝の5時。人は誰もいなかった。乗り継ぎまで2時間あるし、そのうち開くだろうと売店でソーセージサンドを買って食べながら待つことにした。
が、搭乗予定時間の20分前になってもカウンターが開かない。
これはおかしいとようやく気付いて、もう一度、偶然通りかかったアロハシャツ姿の職員に国内線の場所を尋ねたところ、「国内線は外を出て右に10分ほど歩いたところだ」と告げられた。搭乗予定時間は15分をきっていた。
10分かかるところを走って5分で到着し、国内線受付カウンターで「この便に乗せてください!」とチケットを見せてお願いしたら、係の人も焦った顔で、「こっちだ! 来い!」と走り出した。行く先々で「荷物を置いて! 危険物なし、オッケー!」「チケットこれね! この道まっすぐ!」「もうチケット見せないで良いから、はやく乗れ!」と大玉送りの玉のようにいろいろな人に助けられながら運ばれたことで、なんとか予定の便に搭乗することができた。
つまり、正確には乗り継ぎに【失敗】はしていない。
しかしオーストラリア到着初日にして、「excuse me」「I'm sorry」「thank you」の3つがいかに大切な英語か、身に染みてわかった。
ロストバゲージ
海外旅行の怖い話としてよく耳にするのがロストバゲージ、荷物の紛失だ。
空港で荷物を預けた時に発生しやすいと聞いていたので、私も同行者の友人も機内持ち込みだけで済ませていた。
だが、ロストバゲージは起こった。
エアーズロックリゾートに着き、無料のシャトルバスでホテルまで運んでもらったのだが、バスの荷物置き場に預けていた友人のキャリーケースがなくなっていたのである。私たちの利用したホテルは格安のため、リゾート内の最奥。なくなったとしたらその前にいくつか停車したホテルの中のどれかだ。
シャトルバスの運転手にお願いして、私と友人の二人だけを乗せたバスは、再び空港との間にあるいくつかのホテルを回りなおすために走り出した。
結果的に、友人の荷物は無事だった。
最初のホテルで誤って下ろされていたのである。
同じバスに乗っていたホテルの利用者はみんな自分の荷物を持って中に入っていたので、友人の荷物だけがホテルの前にポツンと置かれていた。
荷物を誤って下ろした運転手は、大きな声で私たちに謝った。そして私たちはハグをして別れた。オーバーなリアクションの全てが新鮮だった。
旅先での出会い
3泊5日の短い旅だったが、たくさんの思い出ができた。
むしろ期間が短いからこそ、思い出が凝縮された気がする。
空港の乗り間違えも、ロストバゲージも、どちらも初日のエピソードだ。
ちなみに荷物はもう一度なくなった。
これは完全に私たちのミスなのだが、2日目、オプショナルツアーの終了時間とホテルのチェックアウトの時間を確認せずツアーに参加してしまったため、ツアーが終わってホテルの部屋へ帰ろうとしたら、「チェックアウトの終わった部屋への入室は認められない」と断れたのだ。部屋に荷物が置きっぱなしだったのに。
「清掃には入ったのか? 私たちの荷物はいまどうなっているのか? わからないなら自分で確認するから部屋の鍵を貸してくれ」
知りたい情報を聞き出すのも、思いを伝えるのも、言語の壁に隔てられるとこんなにも難しいのかと思い知らされた。数十分拙い英語でやりとりして、最後は粘り勝ちで鍵を借りて部屋に戻った。荷物は部屋にそのまま残っていた。
便宜上ホテルと書いたが、格安のため実際はコテージタイプの部屋だった。扉の下は隙間があいていて、夜中に8センチくらいのゴキブリが入ってきて、大騒ぎで格闘したのも、今では良い思い出だ。
私たちはエアーズロックリゾートに1泊、あとの2泊はケアンズに宿を取って観光した。
ケアンズのホテルは、下着のうえにカーディガンだけを羽織った、海外アクション映画で銃をぶっ放しそうな貫禄のある女性が管理人だったのが印象的だった。
気怠げに「これ、部屋の鍵。朝食はここ。何か質問は?」と言われ、「プールは何時まで入れるの?」と聞いたら「anytime」と返された。すぐ横にあったプールの門にははっきりと「8:30-19:30」と書かれていたのに。テキトー具合が心地良かった。
最後に帰り乗った空港までのタクシーでは、私が料金20ドルのところを25ドルと聞き間違えて渡したところ、「おい、多いぞ!? いいか、見てろ。10…20…3.4.5!ほら多いだろ? 俺じゃなかったらボラれてるぞ! 気をつけな!」と運転手が叱りながら5ドルを律義に返してくれた。
海外旅行のハードル
海外旅行へ行ったことのない私にとって、海外は危険なところという印象が強かった。
実際この旅でも何度も危ない橋を渡っている。いまは笑い話にできるけれど、その時は肝が冷える思いがした。
どうにかなったのは、日本人観光客に慣れたケアンズやエアーズロックの人たちだったからというのも大きいだろう。
しかしこの旅を通して、私の海外旅行に対するハードルは格段に下がった。
コロナ禍に至るまでの間に香港、ニューヨークと毎年のように海外旅行へ行くようになったのは、このオーストラリア旅行の経験があったからだ。
コロナの流行がなければ、ボストンで開催を予定していたムービースターの握手会にまで参加しようと計画していたのだから、ずいぶん度胸がついたと思う。
海外旅行は注意しなければならないことがたくさんある。
観光ではそれほど困らないが、トラブルが起きたときにはやはり言葉の壁の分厚さを痛感する。
けれどそれすら行ってみなければ分からない。
今回はあえてエアーズロックやグレートバリアリーフなど、有名な観光地でのエピソードについて触れなかったが、美しい景色を見た時の感動を文章で伝えるのはやはり難しい。その場所でしか得られない経験だからだ。
私が伝えられることは、一つだけ。
オーストラリアは、私という一人の人間を変えるほど素晴らしい場所だった。
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