福岡離島DXチーム!フィールドワーク事前準備
こんにちは。声優とライターをしている、はづきへちまです。
この記事では、ランサーズ新しい働き方LABの「研究員制度」第2期研究員の指定企画「離島DX!フリーランスチームの力で、小さな離島を変革できるか?」の活動報告をいたします。(2期研究員参加の経緯についてはこちら)
チームの一員としての活動
現地調査をされたリーダー陣からの方針説明会を経て、3つのチームに分かれて動くことになりました。
マーケティング・プロモーション・イベントのチームがあり、掛け持ちもOKということで私は、
マーケティングチーム
プロモーションチーム
に参加!
イベントチームも気になっていたのですが、住まいが東京ということもあってどこまで現地に足を運べるか分からなかったため、諦めました。
各チームの動きがどうなっていくのかはまだわかりませんが、少しでもスキルが発揮できるようにがんばります。
自主研究【フィールドワーク事前調査】
チームとしての研究のほかに「スキルを活かして、小さな離島を変革できるか?」という取り組みを個人で考えており、能古島のフィールドワークを計画しています。
フィールドワークとは、「<あるき・みて・きいて・よみ・しらべ・ふりかえり・ともに考え・かく>ことを試みる比較学」のことです。
とにかく文献と睨み合うだけでなく、直接現地に足を運んで体験・調査した上で研究するということですね。
現地でフィールワークを行う前の事前調査として、まずは「能古島」というキーワードで文献を調べてみました。
……が、地元の図書館で6,7冊福岡のガイドブックに目を通してみても「能古島」についての記載がまったくない。
こんなに史料少ないものなんですね。観光のホームページなどをみる限り、レジャースポットとして人気のある印象だったので意外でした。
そこで国立国会図書館の東京館でも数冊の文献にあたり、得られた情報をもとに興味のある箇所をピックアップしてみました。
①万葉歌碑
能古島に関する万葉歌碑は島内に2箇所、西区宮浦の東林寺に1箇所あるそうです。
林田正男著『筑紫万葉の世界』でも「文学の成立に時代や風土が無縁であるはずがなく、ゆかりの地を歩くことが無意味であるはずがない」とあったので、ぜひ和歌の詠まれた背景を考えながら能古島を巡ってみたいと思います。
②白髭神社
「能古島」はかつて「残島」と呼ばれていたそうです。
白髭神社について調べてみると、
というお話がありました。
住吉の神さまを残したことから、「残島」
白髭の老人が守り人になったことから「白髭神社」
という説を唱える大変興味深い伝説です。
まあ、残島の表記がみられるのは江戸時代からということなので、おそらく実際はちがうんでしょうけどね。
でもこの神功皇后に守り人を頼まれた老人、耳が遠かったばかりに皇后が「毎月一回、年十二回祭りをせよ」と言ったのを「年二回」と聞き間違えたため、昔から今に至るまで白鬚神社の祭日は十月九日と十一月十日の二回なのだそうで、そういうところも面白いなと感じました。
③鹿垣
現在、能古島に鹿は生息していないそうですが、鹿による田畑への被害があったことが鹿垣が残っていることによってわかります。
かつては600頭ほど生息していたらしく、寛政十年(1798年)に秋月藩主黒田長舒が鹿狩りにやってきたことが記録に残っています。
昭和二十年頃に鹿は能古島から姿を消してしまったようですが、史跡から鹿が生息していた頃の様子をうかがえるということで、とても気になるスポットです。
④焼古窯跡
『筑前続風土記拾遺』に記録が残っていて、江戸中期から明治初年頃までのわずかな期間に使用されていたと考えられる窯。
焼道具や破片だけを残して「能古焼」が途絶えてしまった理由を考えながら、じっくり眺めてみたいなと思います。
8/7〜8/8のフィールドワークスケジュール
以上の事前調査の結果をもとに、第一回フィールドワークでは、万葉歌碑関連として、
東林寺(※唐泊)
永福寺
也良崎
能古島の歴史を感じられるスポットとして、
白髭神社
鹿垣
焼古窯跡
能古島の歴史・文化・風土を学ぶうえで、
能古博物館
のこの市
のこのしまアイランドパーク
に行こうと思います。
檀一雄関連の史跡も巡りたかったのですが、『火宅の人』くらいしか読んでいない人間が行くのもいかがなものかと思ったので、もう少し読み込んでから日を改めてリベンジしたいです。
能古島にある早田古墳に関しては、史料が乏しく事前学習ができなかったので、時間に余裕があったら、福岡の総合図書館で史料を探してみたいと思います。
以上、活動の模様は随時noteとTwitterで発信していきますので、どうぞよろしくお願いします!