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【海外ワーケーション】バンコク/ダナン事前調査【私の働き方実験】

こんにちは。声優とライターをしている、葉月へちまです。

この記事では、ランサーズ新しい働き方LABの「研究員制度」第3期研究員の指定企画「【海外ワーケーション】海外で働く・学ぶ・遊ぶを通じて人生観や価値観に変化は起きるか?」の活動報告をいたします。

実際にワーケーションを実施し、事後報告書が完成しました!


基本情報

タイ(バンコク)

  • 国名:タイ王国 (Kingdom of Thailand)

  • 首都:バンコク(Bangkok)

  • 時差:日本との時差は2時間。タイは日本より2時間遅れている

  • 入国資格:パスポートの残存期間6ヶ月以上必要

  • 言語:タイ語

  • 気候:ほとんどの国土が熱帯モンスーン気候に属するため、1日の最高気温が30~35℃。訪れる6月のバンコクは雨季。降ったり止んだりの天気

  • 通貨:バーツ 1バーツ=約3.5円(2022/3時点)

  • 飲み物:水道水は飲めない。一旦沸騰させる必要あり

  • 電気製品:電圧220ボルトのため、持ち込む電化製品の電圧を確認する必要あり

  • トイレ:ホテルやレストランのトイレ以外、トイレットペーパーなし。使い終わった紙は流さずに、横に置いてあるクズ入れに捨てる

ベトナム

  • 国名:ベトナム社会主義共和国(Socialist Republic of Vietnam)

  • 首都:ハノイ(Hanoi)

  • 時差:日本との時差は2時間。タイは日本より2時間遅れている

  • 入国資格:パスポートの残存期間6ヶ月以上必要。言語:ベトナム語

  • 気候: 北部(ハノイ)は亜熱帯気候に属するため、日本のように四季がある。6月は雨季。最低気温:24℃~28℃/最高気温:30℃~34℃

  • 雨量も多く、湿度が高いが、一時的なスコールが降るだけで、一日中降り続くことはない

  • 通貨:ベトナム・ドン 1ベトナム・ドン=約0.0051円(2022/3時点)

  • 飲み水:飲めない。歯磨き程度であればOK

  • 電気製品:電圧220ボルトのため、持ち込む電化製品の電圧を確認する必要あり

  • トイレ:ホテルやレストランのトイレ以外、トイレットペーパーなし。使い終わった紙は流さずに、横に置いてあるクズ入れに捨てる

歴史

タイ

  • 7~8世紀:先住民の中でモーン族のドヴァラヴァディー人がチャオプラヤー川流域に王国を形成

  • 9世紀:現在のカンボジア付近にあったクメール王朝がタイ東北部へ勢力を拡大し、その支配が13世紀初頭まで続いた

  • 13世紀初頭:クメール王朝の支配が弱まり、その配下にあったタイ人土侯がクメール人勢力を駆遂し、現在のスコータイとシーサッチャナーライ両都市を中心とした地域に「幸福の夜明け」(スコータイ)と名づけたタイ族初の統一国家が成立。タイ文字の制定や上座部仏教が国教となる。同時期に同族の土侯が現在のチェンマイを中心にラーンナー王朝を建設

  • 1351年:チャオプラヤー川流域にあったロッブリーとスパンブリーが統合され、アユタヤ朝成立

  • 15世紀中頃:スコータイ王朝はチャオプラヤー川沿いに台頭していたアユタヤ王朝の属国に、同時期に北部のラーンナー王朝もビルマの属国となる

  • 1431年:アユタヤ朝がクメール王国へ侵攻。王都アンコールを陥落。その後、隣国のビルマとの戦争に敗れて属国となった時代もあったが再び盛り返し、17世紀頃にはオランダやフランス、日本など世界各国からの商人が渡来。シャム国(当時のタイの呼称)の首都として隆盛を極める

  • 1767年:ビルマのコンバウン王朝の侵略を受けて廃墟となったアユタヤから、当時タークの国主だったタークシン王がビルマ軍を撃退。同年トンブリー(現在のバンコクのチャオプラヤー川を挟んだ対岸)に住居を構えて王に即位、トンブリー王朝を築く

  • 1782年:ビルマ軍との防衛戦やカンボジアへの侵攻など戦争が続いたことで、チャオプラヤー・チャクリー(後のラーマ1世)らによってタークシン王はその位を剥奪され、処刑。トンブリーの対岸にあるラッタナコーシン島に新しい都を建設し、ラーマ1世が王に即位。現在も続くラッタナコーシン王朝(チャクリー王朝またはバンコク王朝とも)が始まる

  • ラーマ4世やラーマ5世(1851~1910)の時代:ヨーロッパの列強が押し寄せ、ビルマやラオス、カンボジアなど近隣諸国が相次いでイギリスやフランスの植民地となった。そこでイギリス、アメリカ、フランスなどと通商貿易条約を結び、巧みな外交政策のもと近代化を進めた結果、東南アジアで唯一独立を守り通すことができた

  • 1932年:立憲革命により、王は象徴的な存在として憲法に定められ、政治には直接関わらない立憲君主制へと移行

  • 1939年 シャム国から「タイ王国」と呼称を改め、現在に至る

ベトナム

ベトナムの国土は南北に長く、北部・中部・南部でそれぞれ異なった歴史と文化を有している。

【北部】
秦の始皇帝が南海郡を置いて支配。その後南越がおこるも、漢の武帝が再び制圧。10世紀の唐滅亡後、ベトナム人の独立の動きが強まり、呉朝、丁朝、黎朝(前黎朝)という短期の王が三人現れたのち、1009年、李公蘊(りこううん)ハノイを中心都市した「大越国」を建国して李朝成立。ベトナム最初の長期王朝となった。その後、陳朝、胡朝、黎朝(後黎朝)が続くも、元、明、清の中国統一王朝が北部ベトナムへの直接支配を狙い、宗主国としての権利を主張して干渉し続けた。

  • 陳朝:元に服属し、「安南国」と呼ばれるようになったが、 この時にベトナム人の民族意識が高まり、漢字をもとにしてベトナム語を表記するための字喃(チュノム)が考案された。

  • 黎朝(後黎朝):武将の鄭氏(チン)とフエで起こった独立政権の阮氏(グェン)が対立し、17世紀には北部の鄭氏、南部の阮氏が争って長期の内乱状態、ベトナム南北戦争が起こった。

【中部】
フエを中心に、ベトナム人とは異なるオーストロネシア系のチャム人が居住していた。漢の日南郡の支配を受けていたが、後漢頃から自立し始めた。中国資料では林邑として登場。自らをチャンパーと称し、港市国家として繁栄した。7世紀の唐代には「環王国」、9世紀以降は「占城国」という名で中国史に記録されている。15世紀に、【北部】の項目で触れた黎朝に圧迫され、1471年に滅亡。その後フエで阮氏が独立政権を樹立。メコン=デルタなどカンボジア王国領にも支配を及ぼし、ベトナム人を盛んに入植させ、「広南(クァンナム)国」と称した。

【南部】
中心都市はホーチミン市。「扶南」という東南アジア最古の国家が誕生。4世紀頃からインド化が顕著で、仏教とともにヒンドゥー教の影響を受けた文化が形成された。7世紀にクメール人の国である真臘(しんろう/カンボジア王国)に征服されたが、17世紀後半からベトナム人の進出が激しくなり、フエを本拠としたベトナム人の地方政権、【中部】の項目で触れた阮氏が「広南(クァンナム)国」を建国した。

【共通の歴史】

  • 1771年:西山阮氏の三兄弟がベトナム人以外の民族と連携して西山の乱を起こし、西山朝が成立。広南阮氏を破ってベトナムの統一を目指すも内紛が起こり統一を維持できず、広南阮氏の生き残りだった阮福暎(げん ふくえい)が、1789年に西山朝を滅亡させた。

  • 1802年:西山朝を滅ぼして阮朝が成立

  • 1804年:国号を越南国(ベトナム)として、都をフエに置き、清朝を宗主国として、ベトナム統治が認められた

  • 1858年:阮朝がキリスト教禁止に転じて宣教師を処刑したことに対し、フランスのナポレオン3世がインドシナ出兵を開始。フランス=ベトナム戦争が起こった。

  • 1862年:サイゴン条約でベトナム南部の一部(コーチシナ東部三省)がフランスの直轄領に、さらに67年までにベトナム南部(コーチシナ)全域に拡大した。

  • 1883年〜84年:第1次、2次フエ条約(ユエ条約)でベトナム中部と南部を支配する阮朝にベトナム保護国化を認めさせようとしたフランスに対し、ベトナムの宗主権を主張する清が抗議。両者の対立により、1884年に清仏戦争が起こった。この戦いに敗れた清は、ベトナムの宗主権を放棄した

  • 1887年:フランス領インドシナ連邦が成立。ベトナムはそれに編入される(※阮朝はフエに形式的に存続)

  • 1904年:ファン=ボイ=チャウは維新会を組織して反仏運動を開始。日露戦争に勝利した日本の支援を受けようと1905年にドンズー運動(東遊運動)という日本留学運動を開始したが、1907年に日本が日仏協約を結んだため、失敗に終わる。続いて1911年の中国の辛亥革命の影響を受けて、共和政の新たな国家の独立を目指して維新会を改編したベトナム光復会を組織するもフランスから厳しく弾圧され、ファン=ボイ=チャウは逮捕された

  • ベトナム民族運動の新たな指導者として登場したのが、フランスでマルクス主義を学んだ社会主義者・ホー=チ=ミン。帝国主義と対決する民族独立運動を指導し、1930年にベトナム共産党を結成(後のインドシナ共産党)した

  • 第二次世界大戦でフランスがドイツに敗北したことで独立の機運が高まったが、代わって1941年7月に日本が南部仏印進駐を実行。日本がベトナム全土を支配権に収めた

  • 1944~45年:日本が米作地帯をジュート畑に転換したこと、ラオスへ備蓄米を輸送したことが原因で食料不足が起こり、ベトナム北部で大量の餓死者が出た

  • 1945年9月2日:日本軍降伏後、ホー=チ=ミン指導により、ベトナム民主共和国が独立を宣言したが、フランス軍がふたたび進駐。フランス軍との間でインドシナ戦争が起こった

  • 1949年:フランスがバオ=ダイ帝を擁立してベトナム国を樹立(フランスの傀儡政権)。同年10月にアメリカのトルーマン政権が中華人民共和国成立によるアジアの共産主義化を恐れ、インドシナ戦争に介入。インドシナ戦争はベトナム人とフランス・アメリカ軍との戦いに発展した

  • 1954年:ホー=チ=ミン指導のベトナム労働を中心にベトナム独立同盟(ベトミン)がゲリラ戦を展開し、フランス軍・アメリカ軍に抵抗。ディエンビエンフーの戦いで勝利し、フランスを追い出したが、アメリカが南部一帯を占領。同年、ジュネーヴ休戦協定が成立。北緯17度を境に停戦となったが、南北ベトナム統一のための選挙は、アメリカの反対により実施されなかった。

  • 1955年:南部にアメリカが支援するゴ=ディン=ジェムを首班としたベトナム共和国が誕生。南北ベトナムの分立に米ソの対立が関わり始める

  • 1963年11月:ゴ=ディン=ジェム政権が国民からの支持低下により弱体化していたことを受け、アメリカ黙認の下、軍事クーデターが起こり、ゴ=ディン=ジェム政権は倒された

  • 1964年8月2日:アメリカ海軍の艦船が砲撃を受けたとするトンキン湾事件をでっち上げ、北ベトナムを空爆。翌1965年2月から宣戦布告のないままベトナム戦争が始まった。アメリカは空爆に加えて地上軍を増員してベトナム全土の制圧を目指したが、北ベトナムからラオスやカンボジアを経由したホー=チ=ミン・ルートで支援され、アメリカ軍を圧迫。ベトナム民衆は地下に潜って空爆に耐え、南ベトナムのジャングルではアメリカ兵とゲリラ戦術で応戦したため、戦争は長期化した

  • 1968年:パリ和平会談が開始されるも、アメリカのニクソン政権は70年代からカンボジア侵攻、ラオス空爆と戦線を拡大して犠牲を増大させたこともあり、アメリカ内外で激しい反戦運動が起こった

  • 1973年:べトナム和平協定が成立し、3月にアメリカ軍撤退。解放戦線は1975年4月にサイゴンを陥落させ、南ベトナム政府はここに崩壊し、ベトナム戦争は北ベトナムと解放戦線の勝利に終わった

  • 1976年6月24日:現在のベトナム社会主義共和国成立。首都は北ベトナムからハノイを継承。翌77年に国際連合に加盟した。

  • 1975年:中ソ対立の深刻化により、ソ連と関係が良好だったベトナムは、隣国カンボジアに成立した親中のポル=ポト政権との間で国境紛争が起こった。

  • 1979年1月:プノンペンを制圧してポル=ポト政権を追放。ヘン=サムリン政権を樹立した。同年、中国がベトナム北部に侵攻し、中越戦争が起こるも、文化大革命の後遺症に苦しむ中国はすぐに撤退した

  • 1980年代 :戦争の長期化のために社会主義体制は次第に行き詰まり、ベトナム経済は悪化。大量の「ボートピープル(海路脱出難民)」とカンボジアからの「ランドピープル(陸路脱出難民)」を生んだ

  • 1989年:カンボジアから軍隊を撤退。1991年にカンボジア和平協定成立。1995年7月に東南アジア諸国連合(ASEAN)へ加盟。同年アメリカとも国交を正常化させ、経済は次第に回復していった

行ってみたい場所

全部はまわれないでしょうが、とにかく気になる場所をピックアップしました。

アユタヤ

【ワット・マハタート(Wat Mahathat)】
ビルマとの戦争で破壊された遺跡群。当時の仏頭部分には金箔が貼られていたため、ビルマは戦利品としてそれを持ち去っていったといわれており、あちこちに頭のない仏像がある。そんな中で残った、菩提樹にからめとられた仏頭が有名。

【ワット・プラシーサンペット(Wat Pra Srisanpet)】
アユタヤ最大の寺院。アユタヤ時代の3人の王の遺骨が納められている。仏塔を中心に遺跡をぐるっと回ることができる。ライトアップが綺麗らしい。

【ワットラーチャブラナ(Wat Ratchaburana)】
1424年にアユタヤ第8代王であるサーム・プラヤー王(ボロムラーチャー2世王)がふたりの兄のために建てた慰霊碑。ふたりの霊を鎮めることを目的に建てられたこともあり、「最初にこの寺を訪れた王は早死にする」という噂が立ち、その後の歴代の王たちは誰ひとり足を運ばなかったそう。クメール様式の影響を受けた仏塔や、スリランカの様式の4つの仏塔が見どころ。ライトアップも綺麗らしい。

【ワットプララーム(Wat Phra Ram)】
1369年に 2代目アユタヤ国王が、初代国王「ウートーン」を弔うため建立した菩提寺。「ウートーン王」のブロンズ像が置かれている。

【ヴィハーンプラモンコンボピット(Wihan Phra Mongkhon Bophit)】
18世紀の半ばに侵攻してきたビルマに、アユタヤ王朝は最後、ここで破れた。その後、1956年にビルマの首相が来訪した際の寄付により、本堂の再建立がされた。ビルマによって破壊され、ビルマによって修復されたことになる。美しい建物と17メートルの巨大仏像が見どころ。

【ワット ロカヤスタ(Wat Lokaya Suttha)】
高さ5m、全長28mの巨大根釈迦仏が有名。ビルマの侵攻により破壊されたが、1956年に復元。雨季など季節によってはオレンジ色の袈裟を纏っていないこともある。纏っていない場合は、寝釈迦仏手前や裏側に置いてあるらしい。

バンコク

【ワットパクナム(Wat Paknam )】
「河口にあるお寺」の意味。アユタヤ時代につくられた。最上階にあるエメラルドグリーンの仏塔と天井画が有名。仏塔の頂上から広がるように仏陀の生涯図が描かれている。

【ワット・ポー(Wat Pho)】
三大寺院のひとつ。仏歴2331年(西暦1788年)にラマ1世によって建てられた、バンコク最古の寺院。「ねはん寺」とも呼ばれ、全長46m、高さ15mの金の涅槃仏(ねはんぶつ)が有名。

【ワット・プラ・ケオ(Wat Phra Kaew)+王宮】
三大寺院のひとつ。エメラルド寺院の通称で知られる。1782年~1784年建設。ラーマ1世が、バンコクに遷都して現在の王朝であるチャクリー王朝を開いたときに護国寺として建てたもの。またバンコクの王宮は、18〜20世紀にチャクリー王朝の王宮として、タイの国王が居住していた。現在、国王はここには住んでいないため、観光客向けに開放されている。

【ワットアルン(Wat Arun)】
三大寺院のひとつ。アルンとは「暁」という意味を持ち、小説家・三島由紀夫の『暁の寺』で描かれている。ヒンドゥー教の影響を受けたクメール様式の建築物。ライトアップも綺麗らしい。

【シリラート病院博物館(Siriraj Medical Museum)】
「シリラート死体博物館」とも。シリラート病院内にある。シリラート病院は、タイ国内最大最古、かつ、敷地面積は東南アジア最大ともいわれる病院。本物の人体標本、ホルマリン漬けが展示されている。以前は「シーウィー博物館」とも呼ばれ、タイ史上最も凶悪とされた7人の子どもを殺して内臓を食べたという人食い殺人鬼「シーウィー」遺体が、事件の極悪性を理由に晒されていたが、実は冤罪だったということが発覚。署名活動の末、2020年に火葬された。日本人の観光客が多いため、日本語の案内標識などがある?写真、動画は基本的にNG。

ダナン

【ダナン大聖堂(Da Nang Cathedral)】
1923年フランス統治時代、ダナンの市街地中心部に建造開始。翌年3月に完成。ネオゴシック様式で、ピンクの外観がかわいい。

【チャム彫刻博物館(Da Nang Museum of Cham Sculpture)】
2世紀から15世紀(101年~1500年)にベトナム中部に存在したチャンパ王国時代の遺跡の一つ、ミーソン遺跡の彫刻や遺物が保存、展示されている。ミーソン遺跡の彫刻類はインド文化(ヒンドゥー教)の影響を受けている。

【ドラゴンブリッジ(Dragon Bridge)】
2013年3月完成。全長666mあり、ドラゴンの目はハート形になっている。毎週金・土・日の21時~火と水を吹くファイヤーショーが行われている。

ミーソン遺跡(My Son Sanctuary)

192年から1832年にかけてベトナム中部沿岸地域に存在したチャンパ王国の聖地。1999年にユネスコの世界遺産に登録された。電動カートに乗って登る必要がある(徒歩だと1時間くらい) ベトナム戦争時に爆撃された跡がいくつもある。

五行山(Marble Mountain)

半径500mほどのエリアにある5つの山の総称。山全体が大理石でできている。名前は、中国の陰陽五行説(万物の構成要素、火水木金土)に由来。参拝・観光地であるトゥイーソンは水山。名付け親は、ベトナム最後の王朝、グエン王朝の第2代皇帝のミンマン帝だと言われている。『西遊記』で孫悟空が閉じ込められた山としても登場する。チャム族が築いたチャンパ王国が2世紀後半に渡ってきたため、洞窟内にはチャム族が信仰していたヒンドゥー教特有の文様や、神様のレリーフが施された祭壇などがある。ダナンはベトナム戦争の激戦区としても有名で、戦争時に隠れ場所として使用されていた五行山内の洞窟には、空爆により穴が空いている箇所がある。

ホイアン(Hoi An)

1999年に「ホイアンの古い町並み」として世界文化遺産に登録された。かつて、インドと中国とを結ぶ「海のシルクロード」と呼ばれ、貿易港として繁栄した町。15~16世紀、日本との交易も盛んで、最盛期には1000人以上の日本人が住んでいた。旧暦14日に毎月開催されるランタン祭りが有名。ランタン祭り以外の日も、夜になるとランタンに灯がともされる。

【来遠橋/日本橋(Japanese Covered Bridge)】
1593年、日本人が造ったとされる橋。木造の屋根付きの橋で、中央に航海の安全を祈願する小さな寺院がある。両側には犬と猿の像が置かれている。毎日18~22時にライトアップされる。

【フンフーンの家(The Old House of Phun Hung)】
約200年前、貿易商人の家として建てられた。
壁はベトナム、柱やドアは中国、屋根は日本、と三国を折衷する建築様式。洪水の時、1階のものを2階に運び上げるため、1階には格子戸をはめ込んだ天窓がある。

【クアンタンの家 /廣勝家(Quan Thang House)】
約300年前に中国人船長が建てた木造平屋の家屋。日本と中国折衷の建築様式。

【福建会館 (Fukian Assembly Hall)】
300年前に建てられた、福建省出身者のための同窓会館。螺旋状の大きな赤い線香が吊り下げられており、奥には「天后聖母」の像がある。中央祭壇には、17世紀にホイアンにやってきた6家族の家長の座像が納められている。

【海のシルクロード博物館 /貿易陶磁博物館(Museum of Trade Ceramics)】
ホイアン周辺の遺跡や南シナ海の海底で発見された、古伊万里やペルシャの器など、東西様々な陶磁器が展示されている。朱印船からの発掘品もある。

ハノイ(Hanoi)

王朝の都であった頃の遺跡や、フランス統治時代に建造されたコロニアル様式の建物がある。

【ホアンキエム湖(Hoan Kiem Lake)】
水上人形劇「レロイ王ホアンキエム湖の伝説」では、15世紀にレロイ王が中国の明を撃退したときに使った神から授かりし神剣を、この湖に住む、神の遣いの亀に返したという。その亀はこの湖に住んでいたシャンハイハナスッポンがモデルとされている。2016年の初頭に絶滅が確認された。

【ハノイ大教会/聖ジョセフ教会(hanoi cathedral)】
120年以上の古い歴史を持つ由緒あるカトリック教会。フランス領時代の遺構。

【ホアロー収容所(Hoa Lo Prison)】
フランス統治時代、フランス軍がベトナム人捕虜を収容する場所として建造。劣悪な環境に耐えられず亡くなったベトナム人が多数いる。当時囚人が着ていた衣類や食器などが展示されており、脱獄防止の高い塀はそのまま残っている。

【女性博物館(Vietnamese Women’s Museum)】
ベトナム人から少数民族まで、多種多様な女性の生き様を写真パネルで展示している博物館。

【国立歴史博物館(Vietnam National Museum of History)】
旧石器時代から阮朝、抗仏、ベトナム戦争といったベトナムの歴史を学ぶことができる博物館。そばに旧革命博物館もある。

【ホーチミン廟(Ho Chi Minh Mausoleum)】
ベトナム建国の父であるホー・チ・ミン元国家主席の遺体が安置されている廟。

【タンロン遺跡(Thang Long Ruins)】
ベトナム王朝の王城跡 で2010年に世界遺産に登録された。1009年から1225年まで存在した李朝のタンロン城と、1802年から1945年にかけて存在した阮朝期のハノイ城を合わせた遺跡群。

【文廟(temple of literature)】
1070年に孔子を祀るために建立された廟。1076年ベトナムで最初の大学「国子藍」が開設された場所でもある。





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