見出し画像

Xデザイン学校 2024年度マスターコース振り返り #7&8(コンセプト、プロトタイピング)

Xデザイン学校のマスターコースも、気づけば講義としては今回を含めてあと2回となった。最終回は発表と講評だけなので、チームで考察したり作業をしていくのもあと2ヶ月ということになる。

前回第7回(11月)の講義ではここまで半年のリサーチから提案したい事業を「コンセプト」としてまとめること、今回第8回(12月)の講義ではそのコンセプトを土台にユーザー体験のプロトタイピングを行うこと(あわよくばサービスブループリントまで)をテーマに、ワークショップが行われた。我々のチームは今回の講義の数日前にやっとこさコンセプトが定まったこともあり、今回のリフレクションでは、コンセプトの話とUXプロトタイピングの話に特化して振り返ってみることにした。

コンセプトのプロトタイピング

以前もリフレクションで書いたけど、マスターコースはビジョン、ビジネス、ユーザー、この3点のリサーチを敢えて並行しながら進めていくのがすごく特徴的だと思っていて、これってまさにコンセプトのプロトタイピングみたいなものなのかなと理解している。基本は「ビジョン→ビジネス→ユーザー」というベクトルで事業のコンセプトというものは決まっていくのだろうけど、世の中必ずしもそう一直線に進むものでもなく、それぞれのリサーチを行き来しながら我々の実現したいことを言語化していくものであり、その整合・調整のプロセスを楽しむのがよいのだろうなぁというのを、山崎先生のマスターコースを通じて体感している。

今年の8月、吉祥寺でレゴをつかったプロトタイピングのワークショップが開かれ、面白そうだったので参加したのだけど、そこで行われたのは「まだ頭のなかで整理されていないものを表出するためのプロトタイピング」だった。テーマとしては「一緒に働いてる感覚を持てる、小さいテレプレゼンスロボットを考える」というもので、まずLEGOで思いのまま造形をして、どんなものをイメージしたかをその造形から少しずつ言葉にしていき、その言葉から更に造形を具体化していきながら、コンセプトを決めていくという、そのプロセスがとても面白かった。何もない状態から「表現と意味とを整合・調整」させていくようなワークだった。

この吉祥寺のワークショップに参加するまで、プロトタイピングってあくまで体験を具体化するためのプロセスであって、どんな意味からどんな価値を創造したいのか、そのコンセプトがまず明確に言語化できていないと、プロトタイピングってできないものだと思っていた。でもあぁそうか、造形(表現)しながらコンセプトを構想するということも実際にあるよなぁということを、このワークショップで気付かされたのだった。サービスのプロトタイピングとはまた性質が違うけど、「コンセプトのプロトタイピング」というのもあるんだなぁと。

でも、ただ行き来するだけではダメで、最後は自分たちのビジョンに寄り添うのがよいのだろうと思った。細田高広氏の著書「コンセプトの教科書」によれば、コンセプトとは見出された意味であり、その意味から創造される価値の設計思想であるのだという。そして意味を見出す当事者とは、ビジネスモデルでも顧客でも社会でもなく、やはり自分自身なのだと思う。顧客や社会もコンセプトの構成要素だけど、ドライブさせる機能条件として捉えるのがよいのだろうと。

我々のチームのコンセプトが決まったときも、期限ギリギリになってチームの判断基準になったのはやはり我々のビジョンだった。でもそれぞれの行き来(紆余曲折)があったからこそ、最後はビジョンを軸にして決められたんだと思う。

アイデアはセンスではなく、鍛錬の積み重ね

上記はコンセプトの話だけど、今回の講義でチームで取り組んだのはUXプロトタイピング(具体的にはストーリーボード)の方。やはり事業コンセプト(創造したい価値)が固まっているからシナリオはスラスラ描けるし、シナリオをもとにした仕組みのプロトタイプもサクッと描ける。

でも今回の講義で何より面白いなぁと思ったのは、チームメイトがつくるプロトタイプのクオリティの方で。シナリオができてから、たった1時間でとんでもないクオリティのプロトタイプを仕上げてくるのですよw。今回我々がつくったプロトタイプはアプリなのだけど、ただ画面の見た目がキレイなのではなく、きちんとサービスとして提供したい体験をカタチに落とし込んでくる。ワーク中「シナリオ上どうやって実現する?」みたいな場面があって考えていたところ、チームメイトの一人が「そういえばこんなサービスあったなぁ」と言ってチームでURLを共有して、「おお、いいね」となって我々の作ったシナリオに変換していき、プロトタイプになった。その過程をチームの一人として体験して、ちょっと鳥肌がたった。

2年前Xデザイン学校が開催した「ラピッドプロトタイピングブートキャンプ」に参加したとき、講師の人が「アイデアはセンスではなく、鍛錬の積み重ね」と話したのが今でも心に残っていて。日常から様々な体験を意味として切り取り続け、引き出しの中にしまい、都度案件のときに引き出しから具体として出していく。「こんなサービスあったなぁ」といって引き出せる力こそ鍛錬なんだと思うし、その鍛錬をしている人こそプロなのだなぁと。

プロトタイプができたことで、体験がシナリオ通り機能するかのテストができるようになり、言語化した体験の精度を高めていくことができる。今回の講評でいくつかの指摘をいただいたので、その検討など作業の優先順位を決めないといけないのですぐにテストができるわけではないのだけど、プロトタイプがあると「試してみたい!」と思えるようになるのは、デザインの楽しさだなぁと思う。

そう思うと、我々がこのマスターコースでやってきたことは、そんな「表現と意味との整合・調整」の繰り返しそのものだったんだなぁと。で、その過程こそがデザインなのだなぁと思った。

セミナーとはビアバッシュのチケットである

そして、Xデザイン学校が面白いのはこうしたプロの人たちと一緒にデザインを学べるところにあると思う。自分としてはUXデザインやHCDといった分野のスペシャリストとしてのキャリアを築いていきたいのだけど、既にそういう実務に携わっている人たちと一緒に手を動かすことで、ものすごく濃密な学びがある。

今回は(てっきりリアル開催だと勘違いしてしまい)市ヶ谷のキャンパスで講義に参加させてもらったのだけど、講義終了後、東京駅で2年前のベーシックコースの仲間と会い、ここまでのマスターコースのリフレクションなどを共有していた。浅野先生がずっと昔UX SHIGAで「セミナーとはビアバッシュのチケットである」と話していたけど、ほんとそうだと思っている。セミナーの価値はその時間以上にその後の時間をどう使うかがすごく大きい。単純に講評の反省をするというより、講義を通じた内省を語り合う、まさにこれも「表現と意味との整合・調整」なのである。

講義終了後、山崎先生とキャンパスを出るとき「今日このあとベーシックのときの仲間と会うんですよ」と話したら、「へぇ、今日はすごく有意義な1日じゃない!」と言ってくれた。やっぱり最終回はチームみんなと市ヶ谷で出会い、ビアバッシュができたらいいな。