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わたしのあい
12月15日の夜、我が家の愛猫であるあいちゃんが亡くなりました。そして今日、家族立ち合いの元で最後のお別れをしてきました。
どうやって何を書こうか…と思い、もう何度も書いては消してを繰り返して、特に何も書かなくていいんじゃないかと思ってブラウザを閉じるのだけど、なにもせず家で一人で居ると勝手に涙が止まらなくなって苦しくて。
なにかしていないと落ち着かないのでまた書きにくる、というのをずっとやっています。
あいちゃんはわたしが高校生の時に、妹が外で拾ってきた子のうちのひとり。とても小さい子猫で、片目はうまく開かないしお尻から内臓が出ちゃってるしで、しばらくの間目が離せませんでした。同時に拾ってきた子猫の方はそこまで状態も悪くなく環境に慣れたら元気に飛び回るような子だったけれど、あいちゃんはとにかく大人しくて余計に心配で、わたしのあいちゃんへのベタベタした愛情はすでにそこから始まっていたんだろうなあと思います。
実家にいた頃から猫たちは「家の猫」ではなくて「ゆかの猫」でした。
元々飼っていた犬とあまり馴染めず犬の方がストレスを感じてしまったこともあり、猫たちはわたしの部屋でわたしが買ったごはんを食べ、わたしがトイレを掃除して、一緒に遊んで、眠って…わたしが育ててきたので当然、実家を出る際も一緒に連れていきました。
途中、うみちゃんという新しい家族が加わったり、あいちゃんの姉妹猫であるイヴは脱走したまま帰らなくなったりと色々なことが起こる中、あいちゃんは子猫の時からずーっと変わらず、大人しくて甘えんぼうでだっこと腕枕が好きなまま。ついこのあいだまでそれがずっと続いていて、まだまだ一緒にいられるものだと思っていました。
つい先日あいちゃんの肉球に伸びた爪が刺さってしまっていたので、かかりつけの病院で処置を受けました。爪切りの頻度はそう変わらなかったはずなのに初めて巻き爪になって、どうしてだろう…と考えた時、そういえば以前よりも走ったり自分で爪研ぎする姿を見かけなくなったなと気がつきました。
あいちゃんには数年前、痙攣発作を起こす時期があり脳に病気があると言われていたため、病院の先生もいつも気にかけてくださって、この日も軽く検診をして「特に体に問題はないけれど、少し痩せているから体重を増やすように」と。
さすがに歳をとってきたんだなと改めて感じて、注意をしながらごはんを調節したり細かく爪や体をさわって確認したり。その甲斐あってか日に日にふっくらしてきて、次に病院に行った時には少し安心できるかな、なんて思っていました。
その日もいつものようにごはんを食べて、水を飲み、招き入れた寝室のベッドに自ら飛び乗ってひなたぼっこを楽しみ、ときどきうみとじゃれついて、ちょっとだけわたしに甘えて。
夜、眠っていることを確認して「なんだかすごいリラックスしてるね」なんて声をかけて部屋を出て、わたしが軽くごはんを食べてから寝室に戻るまでの20分弱の間に、あいちゃんは動かなくなってしまいました。
あまりに突然のことで、本当に平和な当たり前の毎日の中の1日で、最初はなにがなんだかわからず「どうしたらいい?さっきまで寝てたのに」ということばかりがグルグル回って。しばらくして旦那さんが「いや、もう…」と言葉を出した瞬間に、受け入れなくてはならない、どうしようもないことなんだと。
その時も、数日経ちしっかりとお別れをしてきた今この時間になっても、なにも苦しまず眠るようにそのままそっと息を引き取れたことはよかったことだと思う反面、一人になるとその光景が目の前に現れるようで、急激に、襲い掛かるように悲しみがやってきてしまう。
笑顔でお話もできたし誰かがいる時は普通に過ごせるし、受け入れられていないわけではないはずだけど、まだ気持ちがびっくりし続けているみたいで、気を抜くといろんな気持ちがごちゃごちゃになって、突然息が詰まるほど泣いてしまう。そんな感じになっています。
泣いてしまうのは、悲しいのは仕方ない。
わたしの人生の半分はずっとあいちゃんと一緒だったのだから。
あいちゃんの訃報に対して、友人や家族、病院の先生、Twitterなどで声をかけてくださる方もみんな「苦しくなかっただろう、それが一番いい」「ゆかと一緒であいちゃんは幸せだったね」「存在感が大きいだろうから悲しいと思うけど、あまり気を落とさないで」とあたたかく言ってくれる。
本当に幸せだったかとか最期はさみしくなかっただろうかとか、なにも聞けないから、本当にそう決めてしまっていいのかどうかわたしにはわからない。あいちゃんとの暮らしに後悔なんてないし、わたしは幸せだったし、毎日大好きで骨まで可愛くてたまらなくて、本当に天才だなー!ってめちゃめちゃ思ってるから、わたしの知っているこれらの事実だけでも充分だと思うけど…
あいちゃんはどうだった?ってどうしても聞きたくなってしまう。
※ここから先は葬儀の話ちょっとだけ。変なこと言う。
もう大丈夫、と確かに思えるお別れをしてきました。
実家の犬たちもお世話になった場所で今日、家族で立ち会ってお別れをし、遺骨を納めて、一緒に帰ってきた。
「愛」という字を含む花言葉のある花を選んで綺麗に飾って、旦那さんのリクエストで一輪のバラを添えて、お手紙とごはんとおやつ、わたしと旦那さんが昨日一日身に付けていた服で包んで、お守りの数珠を前足につけて。
「お気に入りのおもちゃやおやつ、あいちゃんの好きなものを持ってきて」と言われた時に、あいちゃんの好きなもの、なんだろう……わたしだな。と思って、本当に一緒にいけたらいいのに、とちょっとだけ本気で思った。重い自覚はあります。
ほんとに可愛かった。ずっと、一生可愛くていい子ですごい。これからもずっと可愛いし大好きなまんまで大丈夫。最後の最後までそう思った。
火葬の後戻ってきた遺骨を見て思わず「骨まで可愛いなんて…」と口走ってしまった。スタッフの方はにこにこと見守ってくれて、家族でここの骨がすごいだのなんだの話しながら骨壺に納めて、笑顔で受け取った。どこかきもちがすっきりして、あいちゃんの好きそうな晴れた日でよかったと思いながら帰ってきた。
でも、それと悲しさや寂しさは全然別なのかもしれない。全部すぐには、やっぱり難しい。前述したけれど、一人になった途端に思い出してぎゃんぎゃんに泣いてしまう。こんなにごちゃごちゃになってしまうんですね。
犬を亡くして1年ほどの母も言っていた。
「しばらくはなんでもないふとしたときにいきなり涙が出たり、苦しくなったりするよ。それはそういうもの」
なんだか失恋みたいだねーなんて。
遺されたものはみんなこうやってどうにか生きているんだと思うと、つくづくすごい。
悲しいのは仕方ない。泣いちゃうのは仕方ないの。
しばらくはそうやって暮らすしかないと、腹を括りながら泣いています。
あいちゃん、ほんとに可愛かったな。ずーっと可愛いな。大好き。ありがとうね。
わたしがこんな調子だからなのかいきなりひとりぼっちになってしまったからなのか、この二日でうみちゃんは以前にも増してわたしにべったりになってしまって、どこに行くにもついてくるし、お風呂もトイレもわたしが出てくるまでずっと扉の前に張り付いて、少し姿が見えないだけでひどく鳴いて呼ぶように。ごめんよ、さみしいね。
わたしはわたしで、あいちゃんが眠ったままスッといってしまったので、なんだか気持ち過保護になってしまい、うみちゃんが寝ていると起こしたりして確認してしまう。ごめん、少し我慢してくれるか。そのうち慣れると思うから。あなたも長生きしてね。
たぶんものすごくごちゃごちゃで、感情があっちこっちに行ってしまうような乱文ですみません。
最後に。
直接だったり画面越しだったり、あいちゃんはたくさんの方に可愛がって頂きました。自慢の愛娘が褒められたり愛されていることがすごく嬉しかったです。
訃報に際してたくさんの暖かい言葉も、本当にありがとうございました。
まだしばらくはいきなりぱらぽろと泣いてしまうと思いますが、あいちゃんはもちろん、これからも一緒に暮らす家族やうみちゃんのためにも少しずつ強くなっていきたいです。わたしのことはあまり心配しないで、むしろ心配なら一人にさせない勢いで(笑)、話しかけてくれたらありがたいです。
年末はたぶん、笑顔でステージに立てると思います。
あいちゃん、またわたしのところにおいでね。
ずっと大好きよ。
ゆか
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