愛犬の死
8月2日、早朝に愛犬が亡くなった。
約11年前の冬、子犬が産まれる。
是非、私に飼って欲しいと知り合いに話されたのがきっかけで始まった彼女と私の生活。
子犬から育てるのは、初めてだった。
我が家に初めて来た日は、
まだ両手ぐらいの大きさで
よちよち歩きで小さかった。
先住犬の尻尾を追いかけて遊んだり、
よくお腹で丸まって寝たり、
私の首の上でも横になって寝ていた。
大きくなってからも
ずっと誰かにくっついて寝ていた。
いつも、私の体の上、胸の上に
顔を乗せて寝ていた。
私への挨拶は、足の指を絶対に舐める彼女。
帰宅してきた私へ毎回お気に入りのぬいぐるみを
BOXから出して咥えながら、おかえりと言ってくれた。
愛犬達は、私がどん底の時、誰よりも1番近くで支えてくれた。当時、毎日あった家族間の喧嘩でもいつも守ってくれた。
愛犬が私の1番の理解者で大切な娘だった。
愛犬達が居たから、
私はどんなに苦しくても最期を看取るまで
私が絶対に先に逝かないと思い止まれた。
生きる希望だった。すごく大切だった。
ここ数年間は、
少しずつ老いを感じることも増えてきた。
耳が遠くなったり、消極的になり、
寝てる時間も沢山増えてきた。
だからといって、彼女への愛情は減る事もない。
特にここ数年間の彼女は、
より犬らしくではなく、より人間らしく
生きていたように思う。
最期の数ヶ月間は、私自身が働く回数が減り、一緒に過ごす時間が多く取れた。
一緒にしたかった事は出来たと思う。
今まで以上に愛情を注ぎ、伝えられたと思う。
彼女が亡くなる1週間以上前から変な胸騒ぎがして、毎日寝ている彼女の呼吸をチェックしたり、
犬の最期を調べたりしてた。
当たって欲しくないと願いながら、
確認しては良かった、違った。ずっと怖かった。
今思うと虫の知らせだったのかもしれない。
亡くなる前日の朝、
いつものように仕事に行って来るね。
お留守番よろしくね。
と伝え、私が出た後に嘔吐が始まったと弟に聞いた。
私が帰宅した時には、
動くのもしんどそうで急いで病院へ走った。
暑いよね、ごめんね
今日は、気持ち悪いのにベビーカーでごめんね
もうすぐで着くよ
ずっと謝っていたような気がする
病院では、彼女は初めて沢山の検査をした。
肝臓の数値が少し高かった。
処置をしてもらい、また明日来てくださいと言われ、病院を後にした。
帰り道は、頑張ったね、皆んなに帰ったら頑張ってきたよって言おうね。本当に頑張ったね。少し吐き気止めも効いたのか、外の風景を楽しむ様子があった。
帰宅後、数時間は飲食は控えるようにと言われていたので、時間が経過してから進めるも拒否。
排尿、排便も嘔吐前に出してから無かった。
ただ、少しずつ動けてきている様子だったが、
変わらず辛そうだった。
もう、1匹も不安そうに私の側を離れなかった。
いつもなら、一緒に寝ている布団へ行くと
すぐに寝るのに中々寝付けない様子で
彼女が寝たのと呼吸を確認してから私も寝た。
3時、胃液を嘔吐、直後はしんどそうだったが、
少しすると落ち着き、彼女が寝たこと呼吸が安定したことを確認し、私も一度就寝。
6時前、起床
いつもの寝顔で寝ている彼女の呼吸を確認した時には、もう息をしていなかった。
何度確認しても呼吸も心臓も動いてなかった。
いつもの体温で温かい、いつもの寝顔の彼女は、
何度摩って叫んでも起きてはくれなかった。
今日で1週間と少し経った。
この間に別件で病院に行った。無意識に最期に彼女と歩いた道を愛犬と歩いていた。胸が苦しくなった。
主治医には報告した。亡くなった原因が分からないと考え込んでいた。通院してなければ、彼女はもっと辛い思いをしていたかもしれない。先生にはすごく感謝している。
愛犬の仲間ロスも少しずつ落ち着いてきた。
一緒に悲しみを共有し、互いに寄り添っている。
私自身も愛犬、周りの人に支えられながら、
何とか日々の生活を取り戻しつつある。
今こうして、noteを書いている側にも
15歳(家族の愛犬)と13歳の愛犬が寝ている。
いつも、側で支えてくれている彼らには
感謝しかない。