0303

ことばは発した後いちばんに脳が聞いてる。じぶんの行いは全部じぶんに帰ってくる。おそろしい、、。わたしには、あまり過激なことばや態度を使わないでだれかと関わりあう努力が必要(だった)。小さいころは父のまねばかりして、いやな人間だったな。わたしは父のある性格が、あまり すきじゃない。身近な人を反面教師にできるようになるのには時間もかかったし、いろんな情の入り混じった複雑な思いもあった。立派な人だと尊敬するし、どうにもそこがすきでないだけで、父親としてはすきだけどね。感謝の思いも数えきれない。そういえば最近身の回りでキーワードになっていたと感じることなのだけど、「すききらいはあっていいし、思うことは構わない。」きらいという言葉の鋭さはすごい。わたしはそういうものから黙って離れるから、わたしをきらいな人も、離れたどこかで生きててほしいものだ、とたまに思う。

じぶんの置かれた環境、育ち方、出会うものごと、いろんな条件や事情で人は出来ていて、わたしにも、もらった宝ものや掛けられた呪いがあったけど。そんな罠にからまったり、取れなくなったり、抜け出したり、そんなのを抱えて、つくづく生活は大変。今日にくるまでにじぶんの辞書にそろったことばや、考えや、感受性や、いろんなものもの。バランスよく世界と付き合えるように、風通しをよくしながらゆきたい。それができたら、私もあたたかい人間になりたいな。

そんなこんなで、逃げていく2月は ひと月まるまる濁った気分でいて、さんざん文字に吐き出したり話し合ったり、仕事も仕事以外も、なにかが変わるにおいがして、年度末の空気があった。ほとほと人間関係に面倒になってしまっていたけど、いつまでもそんなの、それこそわたしだって面倒だし。じぶんの中で、ようやくほとぼりが冷めてきたような感触もある。こんな状況に飽きてきたのかもしれない。ま、解決されないままの出来事だってあるね。なるようになるんだろう。

週末は実家へ帰ってきて、だるだる過ごす日曜日の午後だった。今週はまた身近で人が亡くなった。いつもどうにもかなしい。みんなすこしずつすり減らして生きている。それをわすれない。居なくなった人の事もわすれない。今日は雨がぽつぽつ。どんな終わりにも続きがあって、ぷつんと終わるだけの終わりはないんじゃないかな。救いのような、呪いのような、玉手箱だ。ぽつぽつ。

やっぱり楽しい時間をふやしていくことしか考えられないな。そんな春の空気をふくらましてゆけたら幸せだろうな。いつでも大事な気もちと向き合いながら進むべし。

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