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【能力ではなく、機能で人を捉える】
昨日は、勅使川原真衣さんの
【働くということ「能力主義を超えて」】の講演会に行ってきました。
初っ端から、能力とは、規範のことで「分前を決めるための規範」のことである。という定義は能力主義の功罪をうまく表す表現だなと唸らされました。
また、能力を表す言葉として、 〇〇力はもちろんリーダーシップや自分らしさを力が入っていない言葉もまた規範を表す表現として、結局は能力主義に基づいているよねという指摘は、自分も気をつけていかなければならない表現だなと思いました。
何より人材開発、能力開発といった言葉自体が、そもそも完成された能力や人材と言うある種の能力的な完成像があって、足りない部分を補うといった考え方のもと行われていることであり、ある意味、そこに人権的な考え方は無いのではないかという視点も得ることができました。
最近、自分自身でも事業主や経営者ほど人脈の数ではなく、幅を広げるべきではないか?と主張しているのですが、スモールビジネスにおける能力主義は大企業よりもえぐいよねと言う話は、その裏付けというか視点は違えど同じような話をしている気がしました。
スモールビジネスのオーナーほど周りの人と比べられたり、あるいは自分が周りの人と比べてしまう機会は多いと思います。
しかし、結局ビジネスも相手がどれだけ能力があるか?ではなく、「どういった縁があったか」という能力ではないところで人を選んでいるにもかかわらず....
自分は能力がなければ選ばれないといった矛盾を抱えてビジネスをしているのが我々スモールビジネスオーナーだと思います。
そんな能力がないとダメだと言うのは、そもそも学校教育の部分でも減点教育だったり、自分の将来を決めるための文理選択というものが高校生の時にあったり…
いわゆる何をするか?DoではなくどうなるかBeのあり方の部分を まだまだ材料がない子供のうちに求められていることがこうした能力主義の前提にあるのではないかと感じました。
コーチングセッションの中でも自分の強みを見つけるためには、Be、つまり固定された職業(存在)ではなく、〜をすること。(Do)と言う動詞を名刺化する考え方で、自分の強みを言語化していくと、本当の意味で得意なことややりたいことが見つかります。
その点、勅使川原さんがおっしゃっていた「能力と機能の違い」という分け方は非常に納得のいくものでした。
能力には序列があるが、機能には序列がない。
ある種機能というのは、人間を道具的な役割として見るドライな考え方かもしれませんが、しかし一方で能力主義で見るウェットなやり方で生きづらさが蔓延している今であるならば、ドライなところはドライに、ウェットな部分はウェットにしていった方が良いのではないかと思います。
皆さんは自分に「どんな能力がある」かではなくて、どんな機能が備わっているかという機能ベースで考えてみると、どんな機能があるでしょうか?
ここまでもし読んでいる猛者がいたら教えてください。
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