テーマパーク・延暦寺へ
比叡山に登ったときはソメイヨシノが三輪ほど花をつけ始めたころでした。それからだいぶ日が経ち、今では淡いピンクから若葉色に衣替えをしようとしています。
比叡山の中腹に広がる延暦寺もここ二週間ほどで、色合いが変わっているかもしれません。ソメイヨシノや花桃が植わっていたか覚えていませんが、木々や草花はすっかり目を覚まして、血の通った生命力に満ち満ちていそうです。
上記の『比叡山を登る』の後篇として、延暦寺を巡った感想をメモ代わりに書き記しておきます。
麓から比叡山を登ってきた体力と、帰りの自宅へ帰る時間を考えて、今回は東塔エリアだけの見学にしました。東塔は延暦寺の発祥の地で、本堂にあたる根本中堂があります。
その日は日曜日ということもあって、観光客で賑わってました。海外からの旅行者もちらほら見受けられます。
ふと思ったことですが、僕は比叡山と言えば、信長の焼き討ちというイメージが強くあります。最澄よりも、天台宗の寺院というよりも「焼き討ちにあった寺」がまず思い浮かぶのですが、海外の人たちはどういうイメージを持っているのか、なぜ訪れたのかが気になりました。
実際に訪れて思うのは、観光地だなということ。もう少し具体的に表せば、延暦寺を観光施設用に再築したテーマパークのように感じました。これは西塔と横川地区を抜きにした印象です。
理由は三つあって、お堂の朱色がきちんと塗り直されていて、古寺の面影が感じられないことが一つ。二つめはお坊さんが見受けられなくて、「かつて興隆していた延暦寺を再現した空間」として感じられてしまったから。もうひとつは具体的にはあとで説明しますが、気軽に体験できる遊具的なものがあるからだと思われます。
これらは別にネガティブな感想ではなく、延暦寺の役割が時代に適応しようと変化した表れだと思います。塗り直されているから趣が感じられないとか、ただのいちゃもんですし。延暦寺関係者の立場からすれば「観光客の戯言」に過ぎないでしょう。
どこの神社仏閣も威厳さを保ちつつ、時代の流れに取り残されないような運営をしているのだと思います。
ただ、時代は変わっても、根本中堂のなかだけは異空間でした。外観は改修工事中のため様相は掴めません。
しかし、本堂全体像は掴めなくても、靴を脱いで中に入れば時間という概念が存在しないような空間がそこにはありました。根本中堂が建立された当初と同じ空気で満ちているかのようです。
別のたとえで表せば、何百年ものあいだ成り行きを静観してきた大樹のごとき雰囲気がありました。
ご本尊の前にはかの有名な「不滅の法灯」が灯っています。
一二〇〇年ものあいだ灯り続けていると言われていますが、信長の焼き討ちに遭った際に、一度消えているそうです。そこで、かつて分灯してあった山形県にある立石寺の火を僧侶が運んできたと、昔に観たテレビ番組で説明していました。
延暦寺東塔にある鐘楼は五〇円払えば鐘を突くことができます。
数名が列をなして順番を待っていました。鐘を突き方にも性格が出るのか、鐘を突く橦木をできる限り引いてから強く打ち鳴らす人もいれば、そっと橦木を引いて、優しく響かせる人もいました。突いた鐘をのぞき込むと、空気の振動が身体にも伝わってきます。細胞の一つひとつを震わせるようなそうな細かな振動です。
多くの寺院は鐘楼を突くことはできないので、延暦寺を訪れた際はぜひ突いてみることをおすすめします。
他にも体験できるものとしては、摩尼車があります。ひと回りさせれば、お経を一回唱えたことと同様に功徳が積めると言われているものです。
また万拝堂ではご本尊のまわりを囲うように大きな数珠が置かれていてます。時計回りに歩きながら数珠球を一つひとつ回してお参りができるようになっています。
これらが先に述べた体験できるもので、その気軽さがいくぶん境内全体をテーマパーク的に受け取ってしまう理由かもしれません。
西塔と横川地区へはまた次回訪れたいと思います。写真や説明を読む限り、東塔地区とは趣がだいぶ異なっているので、行けば延暦寺の印象が大きく変わるかもしれません。
雪化粧の延暦寺も美しいだろうと思います。
全体の書きぶりがいささかネガティブな印象ですが、「一観光客の戯言」として受け取っていただければ何よりです。
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