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「震災を忘れていい」という宮城の願い

今年、3.11が近付いた頃から、宮城在住者が異口同音に「震災のことは忘れてくれていい」とツイートしていた。
「震災の個々人の細かな辛いエピソードは思い出さなくて良い。忘れてくれていい。けれど、それらの出来事から生まれた教訓を活かして欲しい。各自治体や各家庭で活かして欲しい。そのための『震災を忘れない』であって欲しい」

心を打たれた。
まさか、あの災害を「忘れてくれていい」とまで言うとは。
それだけ宮城は、心の回復をもぎ取ったと感じた。これまで相当もがきあがいてこられたことと思う。

私は、岐阜県岐阜市の長良川流域の出身。
濃尾大震災(1891年)でできた根尾断層に社会見学などで行き、子供の頃の長良川は台風が来ると氾濫が年2~3回あったし、1976年には台風17号で堤防が決壊した。
災害は隣り合わせの地域。
昨年の西日本豪雨でも長良川が増水して氾濫した。日頃の備えで、降水量の割に被害は比較的軽微だった。

結婚して居を構えた時も、転勤で神奈川に引っ越した時も、家具には床に新聞紙を挟んである。
最初に家具を設置する時に、新聞紙を縦に長く細く折り畳んだものを、床の、壁の反対側に挟み込んである。だから、全ての家具が、少し壁側にもたれかかるような設置になっている。
阪神淡路大震災(1995年)は、岐阜で震度4。東日本大震災(2011年)は、神奈川で震度5弱。どちらも、うちの被害はなかった。
また、お風呂のお湯(水)は、次に沸かす時まで落とさない。
「万が一、今地震が起きて断水したら?」なんて小難しいことは考えてない。単に習慣。幸い、うちの断水経験は今の所ない。

そんな日頃の備えの大元は、根尾断層を見たり、台風17号をきっかけに聞いた伊勢湾台風(1959年)の話だったりした。そんな心構えが、阪神淡路大震災や東日本大震災で、それなりに役に立った。
とは言いつつ、阪神淡路大震災も東日本大震災も、更なる教訓を遺した。
大切なのは、個々人の、誰それの家が潰れたとか津波で流されたとか、誰それはかくかくしかじかで流されたとか助かったとか、そういったエピソードではない。
もっと俯瞰的な視点で、何が必要で何をしなくてはいけなくて、何をしてはいけないのか。行政、被災住民、支援者・団体、それぞれへの教訓を、これまで折に触れて伺った。
そこに、、、確かに私は個々人のエピソードを知っているから、余計に心に響くものがある。けれど、濃尾大震災や伊勢湾台風での個々人のエピソードは知らない。それでも我が家は助けられた。
そんな教訓や知恵を、これまでたくさん伺ってきた。

宮城は、改めて、私達にそれらを引き継いで欲しいと願っている。
それは私達を想ってくれてのこと。自分達のような経験をさせたくないとのお気持ちから。
そう感じた時に、宮城はここまで心の回復を成し遂げたのだと感極まった。

まだ宮城に足を運べていない。
今のは全部、TwitterやFacebookでやり取りしてる方々から聞いた話。
宮城がどのくらい復興できているのかは分からない。ただ行きたい。
病気を抱えて、8年経ってもまだ宮城に行けてないけれど、もっと元気になって、宮城に観光に行きたい!!!

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