見出し画像

自然農法に憧れて

ぼくは街なかで生まれ育ち、野菜や米を育てたこともなければ育てたいと思ったこともなく、興味もなかったのですが、自然農法を実践・提唱された福岡正信さんの「わら一本の革命」という本を読んで、急に自然農法に興味をもち、自分で野菜や米を育ててみたいと思うようになりました。

最初は、東京の小さな畑を借りて始めました。福岡正信さんが発案された粘土団子というものを試してみたくて、ホームセンターで粘土質の土を買ってきて、その中にいろんな種を混ぜて団子状にして畑に撒いてみました。団子からいろんな芽が出てきたのですが、そのまま放置しておくだけでは、草に負けてしまい、育ったのは大豆ばかりでした。粘土団子は砂漠の緑化で効果を発揮したそうですが、草が旺盛に伸びる日本の畑ではそれなりの工夫が必要なようでした。本を読んだだけだと、粘土団子を撒けばすべて上手くいくような気がしていたのですが、やっぱり実践してみないことにはわからないなぁと思いました。

香川に移住して畑を始めたときにも粘土団子を試してみたのですが、広い畑ではなおさら、撒いたあとの団子がどこにあるのか見つけることも難しく、草に埋もれて野菜の姿はほとんど見当たらず、粘土団子は上級編だと思い、もっと着実な方法でスタートすることにしました。

最初の頃は、農薬はもちろん、堆肥は肥料なども一切与えず、ただ種を撒き、周りの草を刈るだけ、という極めてシンプルな方法で野菜たちの成長を観察していました。大豆、人参、大根はその方法でも育ち、葉物野菜も小さいながらそれなりに育ちましたが、トマトやナスは全然大きくならず、寒くなった頃になんとか実をいくつか成らすくらいでした。無肥料でどんな野菜でも育つようになるには、まずは土を育てる必要があり、それには年月がかかると言われていますが、その通りでした。

数年は完全無肥料・無堆肥で続けていたのですが、これではいつまで経ってもトマトやナスが育ちそうにないと思い、木の皮100%のバーク堆肥を使ってみたところ、急にトマトやナスが育つようになり、以来、肥料分がある程度ないと育ちにくい野菜にはバーク堆肥を使用するようになりました。

無肥料でどんな野菜が育つかは、その土地の環境やもともとの土にもよるのでしょう。ぼくがお借りしている田畑は、もともと水田で、農薬や化学肥料が使用されていただろうし、土を掘ってみると、いわゆるグライ層という、酸素の欠乏した臭くて固い層が現れます。こういう層を壊してくれる強くて長い根っこを伸ばす植物を最初に育てたり、いろいろ工夫のしようがあるようですが、ぼくは何も知らずにいきなり自然農法を試み、上手くいきませんでしたが、どういう状態だと上手くいかないのかということを身をもって知ったので、それはそれでいい学びになりました。

香川で畑を始めた最初の頃は、野菜をちゃんと育てようという意識すらあまりなく、とにかく畑にいるだけで幸せだったので野菜が育たなくてもあまり気になりませんでした。草刈りをしているだけでハッピー、という状態でした。

とはいえ、そのハッピーにも限界があり、毎日朝から夕方まで草刈りばかりしているとさすがに身体が悲鳴を上げました。肩の後ろが冷たいような変な痛みがしてきたり。最初の年は草刈り機も使わず、電力や動力のお世話にならずにやり抜いたのですが、さすがに身体はヘトヘト、くたくたで、東京のアパート暮らしであり余っていた体力を全部使い果たした感じでした。身体は動かせば動かすほど鍛えられていくものだと思っていたけれど、ある一定のラインを越えると衰弱していくものだと感じました。これでは身がもたない、ということで、2年目からは草刈り機を導入しました。

畑を始めてみて、畑仕事は本当に体力勝負だなぁと実感しました。ぼくのように楽しみでやっている分には、どこまでやるかは自分次第でそれほど無理せずに済みますが、畑一本で生計を立てている方たちはすごいなぁ、ぼくには真似できないなぁと思います。畑をやってみて、自分に向いていることをちょうどいいくらいずつやっていくのが大事だなぁと思うようになりました。そうしないと、地球で「遊ぶ」どころか、地球で苦しむ日々になっていまいかねない…。

毎日朝から晩まで畑、というのはぼくには無理そうだけど、畑はぼくの暮らしに欠かせない場所になりました。畑に行くと、気分がすっきり、明るく元気になるし、身体の調子もよくなるし、心身ともにバランスがとれる感じがします。畑仕事は一生の遊びになる予定です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?