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他人との距離感は場所によりけり~店員さんに話しかけられた面白い言葉たち

 東京から香川に来てローカル線の電車に乗ると、通勤時間でなければ空き空きで、東京の満員電車に慣れていたのであまりの快適さに驚きました。近くに座っている人に目を遣ると、すぐにこちらを見返されることが多く、「あれ?」と思うことが最初の頃、何度かありました。

 東京の電車では、人が多すぎるので、息をひそめるようにして、スマホや本や空想の世界に意識を飛ばし、その不快な場所から意識だけは逃げ出していることが多いのかもしれません。東京の電車で誰かを見て、その意識を察知して瞬時に見返されるというようなことはあまりなかったのですが、香川に来てから、電車以外でもそういうことが多く、街行く人の意識のもち方の違いを感じました(他人を観察し過ぎている自分にも気づきました)。

 周りに人が多すぎると、意識の蓋のようなものを開けっ放しにしておくと疲れてしまいやすいのかもしれません。東京の電車は、外の世界と接しつつも、外の世界から遮断されて過ごす場所、という感じでした。ぼく自身、東京の電車に一人で乗るときは、息をひそめ、本の世界に入っていることがよくありました。

 香川に来てから、お店の店員と客の距離感が近いのも新鮮な風景でした。大手のコンビニですら、店員さんと常連のお客さんが親しげにおしゃべりしているのを見かけます。

 お店のレジで店員さんに、自分が買ったものに対してコメントされることもよくあります。大きな大根を買ったときは、
「ちょっとした人間の足のようでございますね」
と言われたり、珍しい野菜を買うと、どうやって食べるのかと質問されたり。

 印象深いコメントでは、相方が近所の産直で卵を買ったときに、
「アローカナの卵があってよかったわね」
と言われたエピソードが印象に残っています。アローカナというのは鶏の種類で、水色のきれいな卵を産みます。一般的な卵じゃなくてこの卵を求めていたことをなぜこの店員さんは知っていたのか、しかも「あってよかった」という気持ちまでわかったのか…謎だらけでした。

 ローカルなホームセンターに行ったときのことです。ぼくが工具コーナーで物色していると、相方が鉄のお面を持ってきて、「こんなのまであったよ」とぼくに見せました。その様子をどこからともなく見ていた店員さんが突如現れ、いきなりコメント。
「なんや。溶接のお面かい? 他に使いようないで(他のことには使えないよ)」
 ぼくが実用的に溶接のためにそのお面を使いそうにないと瞬時に判断したようで、何とかレンジャーみたいなのに変身して遊ぶくらいしか想像がつかなかったのかもしれません。このコメントも見事だったので、時々思い出して可笑しくなります。

 そういった会話が発生する、というのは、時間や心に余裕がある表れなのでしょう。余裕から生まれるユーモア。反対に、自分の中からユーモアが出てこないときは、余裕のないとき。ユーモアと遊び心は日常にうるおいを与えてくれます。

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