「健康じゃないと支援なんて出来ねぇ」と言われた私の話
転職活動でつけられた疵
私が、新卒で入った会社でうまく行かず、適応障害で休職し、徐々に回復しながら転職活動をしていたときのこと
大学生の頃から関心があった、障害者雇用の分野に飛び込んでみたくて、いろんなことができそうな、特例子会社にターゲットを絞って転職活動をしていました。
一次面接に進めた会社で、次こそはうまくやりたい、と自分のことをオープンにしようと決めました。そして、現職で体調を崩したことを正直に伝えました。
あまりにもショックで、頭が真っ白になって、その後のことはよく覚えていません。社名すら覚えてません。
傷ついた理由
自分を真正面から否定されたような気持ちになりました。ケアに関わりたい、支援の仕事がしたい、と思うようになった理由に、不完全で不健康な自分があったからです。
幼少期から、コミュニケーション力も身体も、大きな病気はないけれどポンコツで、インドアのくせに毎日怪我をする園児でしたし、中学生の頃はコミュニケーション不良でいじめに遭い不登校未遂、高校はいじめを引きずり不定愁訴が止まらず、大学でもメンタルグッシャグシャ。アレルギー体質だわ、生理は重いわ、気圧に弱いわ、おそらく先天性の聞こえづらさもあるわ、近視と乱視のミックスだわ、と数えるとキリがないので、いろんな医療機関やら支援やらには関わってきたのです。
これらの治療やら対応を受ける中で、支援の道を志しました。よくある、「あの時の先生が素敵だったから!」とかいう王道パターンではなく、
「クソみたいな対応をされて意味わからんと思ったから」です。
いじめ対応の時は、言えども言えども辛さが伝わらず
生理痛が重たくて通ってた病院では、男性医師に「こんくらい平気」とあしらわれ
社会人になってから行った心療内科では、落ち込みくらいよくありますよ、と受け流され
表面上ではそうですか、と言いながら、腹の底では思っていました。
お前に何がわかるんじゃい
と
この負のエネルギーが私の原点です。
いじめで教室で針の筵になったこともないやつが、生理痛で動けなくなったこともないやつが、不眠で死にたくなったこともないやつが、何を偉そうに言うとるんじゃ、と。
この苦しみは、悲しみは、無力感は、経験しないとわからないでしょ。
どうしてそんなに私の辛さを軽く見積もるの???
度重なる怒りと失望が、私の将来の方向性を決めました。
もちろん、経験がなくとも寄り添ってくれてより良い方向に導いてくれる支援者はたくさんいますが、経験した当事者だからこそできることがあるんじゃないか、と思ったのです。
あのとき、その一言があればどれだけ救われただろうか。
些細な、でも確かな感情に突き動かされてきました。
話を戻します。
こういったバックグラウンドがあるので、タイトルの一言がすごく刺さってしまったのです。
そして、別の特例子会社に就職が決まって働いている中でも、引っかかった魚の小骨はずっと抜けないままでいました。
当事者としての経験は本当に役立つのだろうか
働き始めてしばらくは、「いや、それでも経験があることでうまくいく面もあるはずだ!」と反骨心を持っていました。ですが、しばらくするとあのおっさんが言ってたことの方が合っていたんじゃないか、と思うようになってしまいました。
特例子会社で働き、障害のある職員と関わる中で、自分が経験してきたネガティブなことが寄り添うためのプラスどころか、むしろマイナスに作用していることが多いように感じられたのです。
いじめ経験のある人に対して、過剰に感情移入をしてしまったり。
自分の過去のトラウマから、人に話しかけるのが怖くなってしまったり。
体調が整わず、支援にムラが出てしまったり。
うまく行かない自分に自己嫌悪してしまったり。
自分も揺らいでしまうし、客観的にはなれない部分が少なからずあります。
吐き出してみたら
ぐるぐる悩んでいて、仕事を続けられるんだろうか、と思っていたのですが、ちょっとしたタイミングで、同業種の大ベテランの方にこの不安をぽろっとこぼしました。
不安で、ずっと考えてしまうんです、と。
そのかたは、真っ向から「そんなことはない」とはっきり言ってくれました
すごく、救われた気がしました。
そうだよな。全員が健康じゃなくてもいいよな。
精神が不安定でも、どうにか頑張ってきた自分がそのまま肯定されて、社内だったのに泣きそうになりました。
真っ直ぐ言ってくれたことで、救われた部分もあります。
でも、呪いの言葉がまだ強いのか、「支援者は揺らいじゃだめだよな」とも思っています。
支援の場において、優先されるべきは支援の対象者だから、です。
まだ、答えは出ません。
弱い支援者でも、いいんでしょうか。
読んでくださった方はどう思いますか。
あなたがケアを必要とするとき、どんな支援者がいいですか。