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第3話「潮彩の僕たちは宛てのない道を歩く」

海ちゃんと呼ばれたのは何年振りだろう。正面の女性を見つめながら、僕はそんなことを思った。あれは小学校のとき?

いや、もっと幼い頃の思い出だ。確か保育園の遊具で遊んでたときかな。


コンマ何秒の世界を呼び覚ます声、僕は声をかけてきた女性に対して、誰?っていう顔で見つめた。見つめ返された女性が口元に笑みを浮かべる。着物姿で同年代とわかる。きっと、これから成人式へ行くのだろう。

だけど、僕は彼女の顔に見覚えがなかった。ただ単に忘れているだけなんだけど、向こうは知っているらしい。


「やっぱり海ちゃんだ!!」


僕より少し背の低い彼女。細身で可愛らしい顔立ちをしていた。頭の髪飾りに降り積もる粉雪。傘を忘れたのか、赤を基調とした着物に白い無数の粉雪が冬景色と似合っていた。


「やだ!?もしかして海ちゃんじゃないの?」


反応のない僕に対して、彼女が目を丸くしながら声にした。その表情から恥ずかしさが、頬に滲んでいる。何か話さないといけないのはわかっている。

でも、口から言葉は出ない。そもそも僕は昔から女性と話すのが苦手だったからだ。それでも僕は、舌を動かして声を振り絞った。


「す、すいません。その、申し訳ないですが。その……」と言葉を続けようとした瞬間、彼女は手のひらを大きく開いて遮った。


「ごめんなさい。私の方こそ馴れ馴れしく話しかけちゃったね。そうよね。覚えている訳ないわ。だって、保育園で一緒だっただけだもん」


さっき頭に浮かんだ思い出が、思い出として絵になったような気がした。

やっぱり、彼女とは会っている。僕は宛てのない道を歩く。その道に一人の女性が再会という潮彩をくれた。今日降る粉雪は、今宵の夜まで降り続けると。今夜、僕と彼女は見上げることになるようです。のちに思った僕の心の声だった。


片田舎の市民会館に集まる成人たち。スーツ姿と晴れ着姿に身を包んだ主役たちは、流れ込むように会館へと入った。もちろん僕も、その主役の一人である。何度も立ち止まっていた僕だけど、保育園を一緒に過ごしたと思われる彼女の一言で、会場へと向かう羽目になった。


「海ちゃん、とりあえず雪で濡れるから急ごう」と名前の知らない彼女が僕を促した。


さすがの僕も断れなかった。彼女の促すままに、行き交う人々と会場へ早足で向かった。粉雪は堕ちるスピードを変えずしんしんと降り続けていた。

会場へ入ると、僕の前を歩く彼女が肩や頭に積もった雪を払っていた。散りばめられるように粉雪は床へと舞う。その様子を、僕は入り口から少し離れた場所で眺めていた。


彼女の横顔、顎のラインからつま先まで観察する。君は誰で名前は?僕と君は保育園が同じで同級生ってのはわかる。でも残念だけど、僕は君のことを覚えていない。正確には、この会場へ来てる成人たちをほとんど知らないんだよ。


友達という友達はいなかった。寂しくはなかったよ。僕は一人が好きだったし、目立たないように生きてきた。

その証拠に、僕は存在しているのか、自分でも疑うくらいだった。


「ねぇ、海ちゃん。そんな隅っこで居ないの。なんだか寂しく見えるわよ」


余計なお世話だよーーと心の中で反論する。虚しいかな、僕は目立たないように生きることを誓ってから、心の中で感情を出していた。そんな隅っこでって言うけどさ、僕は好きでこの場所を選んでいるんだよ。


離れよう。彼女の側から逃げよう。なるべく関わるのをよそう。心の中の僕が警戒したのか、彼女の言葉を無視するように右足へ体重移動した。


「海ちゃん、私は桃香だよ」


右足が動くか動かないところで止まった。彼女は僕の側へ近寄ると、少し見上げるようにして顔を覗き込んだ。

そして、僕の横に並んで会場を行き交う人々へ呟いた。


「この会場に来てる人たちは二十歳を迎えて、大人の仲間入りになるでしょう。もちろん、私も海ちゃんもそうだけど、私たちは一つだけ違うんだよ。ねぇ、覚えているでしょう」


彼女の名前は確かに知っていた。と言うか、確かに思い出したと言うのが正解だろう。僕は心の中で隠していた思い出を引き出しから取り出すのか。

きっと、そうなんだろう。気持ちの中では気づいていた。桃香も覚えていたと思う。あれは、僕たちの先生が教えてくれた。


『大人の成人式』と呼ばれる秘密の行事。


明日の真夜中、僕と彼女は『大人の成人式』を見てしまうのだろうか。


第4話につづく

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