第13話「潮彩の僕たちは宛てのない道を歩く」
冷たい唇が僕の唇を震わせた。緊張からの震えが正解なんだろう。僕の期待とは裏腹に、一歩手前のキスは冷たかった。柔らかい唇がそっと触れたとき僕の血が脈々と打つのがわかった。
初めてのキスは、冷たい空気の中で交わされた。ソファーに並んで座った僕たちは、好奇心を感情に織り交ぜて、触れたまま止まった時間のキスに震えた。説明書の無いキスに本能という塊が操作する。
同じタイミングと同じ思いが自然に重なる。ミルクレープほどの隙間から、濡れた舌が滑り込む。ほんのり微熱を帯びた舌と舌が絡みつき、男と女は好奇心から無我夢中でキスを求めた。
桃香は処女でも、もしかしたらキスの経験があっても不思議ではない。だけど、僕は初めてのキスだった。それなりの性欲はあるに決まっている。絡みついた舌が激しく求めて、熱くなった血が一歩手前から一歩先へと頭の中を因数分解する。
手持ち無沙汰の両手が、桃香の両肩を抱くように掴んだ。
余震みたいな震えが手のひらに伝わると同時に、桃香は小さな声で僕の名前を呼んだ。重ねていた唇を、二秒くらい離した瞬間に呼んだ声だった。
無意識に引き寄せて、僕は桃香の唇を何度も求めていた。密着した僕たちは包み込むように、お互いを引き寄せてはキスに溺れた。
呼吸を忘れたイルカが空気を探すように、少し離れては息を吸った。こんな芸当ができるなんて、あとから驚いたもんだ。そんな風に思ったのは冷静になった僕で、その先へ進みたいと思ったのはキスの最中だったかな。
粉雪が生んだ寒さ、僕は少しも寒くないと思った。
真っ赤な林檎を単純に想像すれば良いと思う。頬を赤くした僕たちは鼻先が触れるぐらいの距離で見つめていた。本心はキスの続きをしたかった。桃香の虜になったわけじゃなく、キスの虜になったのだろう。
桃香は僕の瞳から心を読み取ったのか優しい微笑みから、もう一度唇を重ねてきた。身体の熱は冷めることなく、僕らの甘いキスは濃厚で情熱的に求めた。きっと、求愛ダンスはこんな風に踊るのだろう。
終わりを重ねて僕らのキスが終わりに近づいたとき、恥ずかしがる桃香へ時間を訊ねた。間が持たなかったのか、それとも次の行為を願ったかもしれない。期待するなと裏切りを恐れながら桃香の言葉を待った。
「まだ時間はあるよ」と上目遣いで桃香は言った。
まだ時間はあるよ……
その言葉にどんな意味合いが含まれているのか、一歩手前は社交辞令に似たような文句であり、まだ時間はあるよと言うことは、少なからず先へ進んでも良いよと取れる。
変な間があってから、桃香は僕の太ももへ手を添えた。
きっと、気づいていると思った。桃香が添えた手のひらから数センチ先、僕の興奮した血が膨らみを見せていた。少し笑ってから桃香は立ち上がると、何も言わずにその場から立ち去った。
追いかけて何かを言いたかった。だけど、腰を上げた僕は桃香の立ち去る背中しか見ることができなかった。
桃香は一階へ向かって歩いた。僕は桃香のあとを追いかけるわけでもなくて違う方向へ歩いた。下りの階段へ消える桃香、フロアーを横切る僕。同じ思いだったのかはわからない。
だけど、僕たちはお互いの道へ別れるのだった。
時間を戻すように粉雪が窓ガラスへ滑り込む。ソファーのぬくもりが消えた頃、名前の知らない女の子はいつまでも粉雪を見つめていた。
第14話につづく
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