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第32話「潮彩の僕たちは宛てのない道を歩く」

誰かに話しても無駄なことは沢山あった。伝わらなければ意味がないから。千夏先生から教わった言葉の中で、『潮彩の僕たちは宛てのない道を歩く』という言葉があった。どんな意味があるのかは知らない。それを人に聞いたところで、納得のいく答えが聞けるとは思えなかった。

だから、口にしたこともなかったし、他人に話したこともない。


彼女の口からその言葉が出たとき、僕の心はドキッとした。桃香と僕だけの秘密の合言葉と思っていたからだ。

見知らぬポニーテールの女の子は、僕たちと同じ保育園で育った。そう考えるのが普通だろう。


『ねえ、省吾くんの願望を叶えてあげるわ』と彼女は恍惚な表情で言った。


そして体勢を変えて僕を押し倒した。次の動作は、僕の願望で望んでいたことだった。彼女はゆっくりとした動きで僕の上へ跨がる。

光るアンダーヘアーに濡れた秘部を顔へ寄せた。教科書に記載された正式なオーラル体勢である。僕が下になって彼女が上に跨る。


『シックスナイン。それが省吾くんの願望なのよね。ホントは桃香ちゃんと望んでいた行為』と彼女の声が股の辺りから聞こえる。


望んでいた行為と彼女が言ったとき、僕は桃香に心を閉ざしていたと思った。閉じた心までは読み取れない。それがわかっただけでも満足だった。今は今を楽しみ、僕は願望の世界へ沈んだ。

初めてのシックスナインに、僕は生暖かい舌を感じた。彼女の唾液と僕の濡れた下半身は、限界を超えた気持ち良さに達した。あまりのことに、我慢することもできなかった。

見知らぬポニーテールの女の子の秘部を見つめながら、僕は程なくして果てた。


その瞬間、気持ち良さと快楽が思考を停止させた。そして世界は再び、僕を暗転した世界へ戻したのだった。

頭の片隅には彼女が呟いたーーーー『潮彩の僕たちは宛てのない道を歩く』だけが響いていたーーーー

『大人の女性が、一人で夜を迎えるなんて寂しいと思わない』


成人式が始まる数分前に出会った女性の言葉だった。ポニーテールの女の子は、私を待ち構えて立っていたかもしれない。名前も名乗らなかったので、私は無視して立ち去ろうとした。

だけど、私の背中に向かって言った言葉が立ち止まらせる。


『大人の成人式は、隠されたルールが存在している。知りたいと思わない?大人の災いがどれだけ恐ろしいか。あなたは知らないわよね。……北城美鈴さん』ーーーー


市民会館が突然暗転したとき、私は鏡に映った自分を見失った。それは勘違いから思わせる騙し絵に似た感覚だった。実際は見失ったわけでもなく、ただ単に、真っ暗な中は鏡としての役目を終えたのに等しいだけ。

目の慣れない私は動けなかった。闇は心を恐怖に染める。鏡のパーティションを背中にして、目が暗闇に慣れるまで待つことにした。


ひたすら待つだけ。ただひたすら待つだけだったーーーー


誰かが僕の肩を揺らした。かすかに呼びかける声が耳に聞こえた。暗転した世界へ戻されて、今度は肩を揺らされて誰かの声で目を覚ます。

射精した感覚は残っていなかったが、わずかに下半身が熱くなった感覚はあった。僕はゆっくりと目を開けて、暗闇から脱出しようと試みた。

しかし不思議なことに、暗闇は続いていた。違っていたのは、僕の肩を揺らしながら呼ぶ声の正体は桃香だった。


心配そうに覗き込む桃香。僕の知ってる女の子だった。名前は桃香ーーーー見知らぬポニーテールの女の子は跡形もなく消えていた。僕が創り上げた願望の世界へ置き去りにしたかもしれない。

何度か目を閉じたり開けたりと、僕は無意識に目の動作を行う。そして、体勢を変えて桃香の顔を見つめた。


「やあ、大丈夫だった?」


「うん、海ちゃんこそ平気だった?気づいたら、私の目の前で倒れていたから……」と桃香は言う。


気を失っていたのか。僕は辺りを見渡して、今の現状を確認した。背中に鏡張りのパーティションが変わらず並んでいた。会館の照明は完全に消えて、僕らを包み込むように暗闇が被さっていた。

暗転したのは会館が閉館したかもしれない。あの独特な雰囲気も感じられない。目の慣れないまま僕は立ち上がると、桃香の手を握りしめたーーーー

「誰なの!?」と私は真っ暗な中で声を出した。


体温の通った手のひらが、闇の中から突然握りしめてきた。姿の見えない誰かが私の手を握っている。だけど、その握り方は、私の不安を安心させるような優しい握り方だった。


『さあ行こう。大人の成人式は終わったよ。今度は、僕と君が大人時代を体験するときだよ』


闇の中から話しかける人。声を聞いてその人が男性だとわかった。だけど、私の知っている人じゃない。


あなたは一体誰なの!?


次の瞬間、私の目の前でうっすらと光の線が横へ広がった。トンネルから出るような感覚に襲われる。光の線は横一面に広がると、世界を闇から真っ白な世界へと変えていく。

瞼を閉じて、その白に近い光を瞼に感じながら、私は吸い込まれるように光の中へ包まれた。これから何が起こるのだろうか?


私の気持ちを知ってか知らないか、見知らぬ男性は、包み込む光の中で手を離すことはなかった。やがて、闇が白に近い光へ包まれたとき、私をゆっくりと柔らかい場所へ下ろしたーーーー


大人の成人式が終わったーーーーと。

それは、これから起きる不思議な体験の前戯かもしれない。


第33話につづく

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