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第20話「潮彩の僕たちは宛てのない道を歩く」

選んだ部屋の扉を開ける。未知なる世界が僕の目の前に広がった。恋人たちの憩いの場であり、二人っきりの空間がそこには存在していた。一番驚いたのは、天井が鏡張りだったことだ。天井に映る桃香を見ながら、僕は冷たくなった身体に震えを感じた。


「エレベーターの中でも震えてたよね」と鏡の中の桃香が言った。


「うん、少し冷えたのかな。でも大丈夫だよ」桃香の言葉に対して、僕はそんな風に答えたが、実際は冷えていたのだろう。雪で濡れた肩を無意識に触った。


それよりも、僕は鏡に映る桃香から目が離せなかった。もしも鏡の世界が存在していたら、きっと桃香は鏡のプリンセスだろう。そんな風に思ったのは僕だけの秘密にしようと思った。


「ねえ、そのままじゃ風邪を引いちゃうよ。シャワーを浴びて来た方が良いよ。ここなら暖房も効いているから、大人の成人式までに乾くでしょう」そう言って、天井の鏡に映る桃香が近寄った。もちろん現実世界の桃香も近寄って来ていた。


目の前に居る桃香に驚いたし、僕の上着を脱がそうとする桃香にされるがままだった。まるで歳上のお姉さんが、弟を世話するみたいに桃香は手際良く僕の上着をハンガーに掛けた。

そして風呂場の方へ、僕の背中を押すのだった。

ワイシャツのボタンを外したとき、ようやく自分の感覚を取り戻した。今の状況について考える。ここはラブホテルの一室で僕と桃香は二人っきり。

僕たちは一歩手前の、また一歩手前まで経験していた。普通に考えたら、そのまた一歩手前まで踏み込みたいと思うだろう。


だけど、ここへ来た理由は扉が入り口と出入り口を演じるくらい、はっきりと理由として確実だった。桃香は着替えたいと言っていた。それが確実な理由である。

僕たちは扉が入り口と出入り口を演じるくらい、ここへ来た目的は決まっていた。大人の成人式のルールは守ること。それだけが雪みたいに、外ではしんしんと降り積もっている。


リトマス紙が染み込むように、僕の冷えた身体は体温を戻した。ジャグジー機能の付いた浴槽。円形の浴槽は淡いパープル色をしていた。ガラス窓に囲まれた浴室は丸見えで、部屋と同じように天井は鏡張りだった。

この部屋のモチーフなのか、身体を洗うスペースにも天井まで届く鏡がタイル一面に張られていた。


これではどこを見つめても、僕と僕が見つめ合う状態になる。浴槽の構造は座れるように内部が一段飛び出している。

ちょっとした段になっているのだ。僕からしたら、背中に当たる位置が不自然だったので使いづらいと感じた。湯船に浸かりながら、僕は僕に自問自答をしていた。

天井の鏡に映る僕である。大人の成人式まで数時間もあった。僕らはこれからどんな体験をするのだろうか?大人時代に僕は何かを期待しているのか。

それとも変わらないまま時は過ぎて、成長して食べれない筍みたいな人生を歩むのか。


バスローブを羽織って部屋に戻る。桃香もバスローブ姿で立っていた。壁際に掛けられた僕のスーツの隣に、着物が掛けられている。


『お先に入りました』なんて言葉を交わすことなく、桃香は僕に向かって私も入って来ると告げた。

すれ違い様、女の匂いを桃香から感じた。階段下で漂った香りが、残り香のように残っていた。浴室の扉が閉まる音を耳に残しながら、僕は丸い大きなベッドへ寝転んだ。


瞬間的に瞼を閉じる。部屋の角に置かれた冷蔵庫のモーター音がカリカリと聞こえていた。冷凍庫の中で規則正しく整列している氷が空気まで凍り、苦しそうに呼吸をしていると感じた。

もう一つの音は、浴室から漏れるシャワーを浴びる音。あの白い肌を飛沫となって跳ねる映像が、僕の頭に鮮明に蘇った。


鏡に映る僕は、浴槽の天井に張られた鏡へ移動した。湯気の中、うっすらと蜃気楼みたいな光景に桃香の裸体が見える。

顔から熱いシャワーを浴びて、桃香は滑らかな動きで自分の肌を触る。指先と手のひらを巧みな動きで滑らせる。

その様子を、僕は鏡の中から覗いていた。


現実と空想を泳ぐ僕。鏡の世界から感じたままに、桃香が出てくるのを待った。


第21話につづく

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