第30話「黒電話とカレンダーの失意」
窓ガラスの前に立って、ガラス越しに映った自分を見つめた。僕に霊感があるなら、背後に立っている姉さんの姿が見えるはずだった。
「はは、見えるわけないか」と僕は吐息を混ぜて呟いた。
「月乃さんに見えて、僕は見えない。やっぱり死んだ人の魂は、何か特殊な力がなければ見えないんでしょうか」
「特殊な力というか、選ばれた力かもしれないわね。だけど、私だってしょっちゅう見えてるわけじゃないからね。普段から見えてたら大変よ。それに、今は一路くんの背後に誰もいない。誰かいたら感じるわ」
月乃さんの説明によると、僕の背後に誰かがいることは確実だった。だけどそれが果たして姉さんなのか、そこまでは判断できないらしい。何故ならハッキリと姿を現していないからだ。
「今度良かったら写真持ってきてよ。そしたら私もお姉さんの顔がわかるからね。でも、気をつけてよ。さっきみたいに精神的な出会いは危険よ。下手すれば、帰って来れなくなっちゃうからね。もし、さっきみたいなことになったら思い出して」
「思い出す?」と僕は聞き返した。
「死んだ人の世界があるなら、君は生きたまま連れてかれるわ。それはとても良くないことなの。一路くん自身の存在は無くなって、さっきみたいに誰にも気づかれない。それだけは避けてね。だから思い出すの。あなたが帰る場所は、君のことを大切にしてる人がいる場所。つまりここがそうなんだから」と月乃さんが真剣な顔して言う。
「わかりました。でも自信が無いかも。たまに一人ぼっちなんじゃないかって。そんなことばかり考える自分がいるから。それに今も逃げてる。顔も知らない母親からの電話に出ることさえしていない」
僕の母親がどこで何をしているのか。そして何故、母親は姉さんが自殺しても帰って来なかったのか。その答えはある人物が握っているような気もしていた。僕を姉さんと思って話しかけた男。彼なら母親が帰って来ない訳を知っているかも。
そんな風に考えたのは、今日まで宝箱に封じ込めていた気持ちが溢れた夜だった。
確かめたい。姉さんの死がホントに帰って来ない理由なら、それを知る権利はあると思う。僕の知らない真実が、僕の知らないところで今も謎のままに彷徨っているのならば、もう逃げていても何も解決しない。
姉さんが生きてるときに言っていた言葉。
知りたいことは自分の目で見て、自分の足で見つけ出しなさい。
「月乃さん、僕は本音を殺して生きてきた気がします。でも、それでは何も変わらない。僕自身がダメになってしまう。そんなことさえ気づくのが遅かったけど、もう逃げるのは止めようと思います。だから、今度は自分自身で確かめたい」
「……うん。一路くんの素直な気持ちで行動しなさい。それが君とって、一番良い道だと思うわ。人は弱い生き物だけど、強い生き物でもあるのよ。帰る場所はどこにもあるわけじゃないけど、帰れる場所は誰にもあるんだからね」
「はい。ありがとうございます。月乃さんと出会えて良かった。帰れる場所はあるって思えてきました。それに、姉さんが自殺した理由も、きっと母親が知っていると思います。それが解決したら、僕は…」
「ん、どうしたの?」
「なんて言うか、こんな風に僕のことを思って考えてくれる月乃さんを見てると、ホントに姉さんに似てるなって思えてきます。なんだろう。うまく言えないけど、似てる」と僕は半笑いで、思ったことを打ち明けた。
「そう、そんなに似てるのかしら?もしかしてお姉さんは、私と一路くんを巡り会わせたかもしれないわね」月乃さんはそう言って、僕の背後から優しく抱きしめてくれた。
いきなり抱きしめられたことに、驚きと恥ずかしさで頬を熱くさせる。細い腕で優しく抱きしめてくれる月乃さん。そのぬくもりに気持ちが濡れた。
「ねぇ、一路くんはお姉さんのこと好きだった?」
「えっ!?」
二人が黙ったあと、狭い部屋で吐息のある息づかいが囁き合うように聞こえていた。そして、僕の心の拠り所は年上の女性が教えてくれることになるのだった。
第31話につづく