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第34話「潮彩の僕たちは宛てのない道を歩く」

雨上がりの金曜日。僕はアパートの鍵をかけて街へと向かった。専門学校に通っていたが、入学してからはバイトの日々を送っていた。クラスで親しい友人がいなかったのも原因だけど、僕としてはバイト先の大人たちと過ごす時間の方がマシだった。

昼過ぎまで降っていた雨が、地面を濡らしていた。僕は乾いた地面を選ぶように歩いて、数日前の出来事をふと考えていた。


あれは不思議な体験だったけど、僕にとってためになる体験ではなかった。唯一良かったことは、女性と経験をしたぐらいだろう。空を見上げては遠くの雨雲に思いを寄せた。

隣町に浮かんだ雨雲、桃香が住んでいる街だった。今頃、桃香はアパートに帰宅してるかもしれない。時刻は午後の六時を過ぎていた。


辺りは日が沈み、灰色みたいな暗さだった。


僕のバイト先は電車を乗り継いで、十分ほどの場所にあった。桃香もその街に住んでいる。明日は土曜日。短大も休みだったので、バイトが終わったら桃香のアパートへ寄ろうかと考えた。

きっと今頃、桃香は第六感的な感覚で僕が来ることを予感しているかもしれない。

そんな予感を僕はするのだった。


そして、電車を乗り継ぎバイト先の店へ着いたとき、僕は一人の女の子と出会うことになるだろう。ポニーテールが印象的な女の子。僕は紛れもなく、あの夜の出来事と重ねたーーーー


吉祥寺にレトロな雰囲気を残した洋食屋があった。店の名前はオリーブ。専門学校の帰り道で偶然見つけた店だった。僕にしては珍しく、飛び入りでバイトを申し込んだ。

店のマスターは人を見る目がわかるという根拠のない自信で、僕をその日に採用してくれた。

根拠のない自信は失礼だけど、こんな僕を採用したマスターにも問題があるような気もしていた。


そんなこんなで、洋食屋オリーブで働き始めて一年以上経っていた。今ではカクテルさえも作るほどになった。

夜はバーもしていたのだ。基本的に午後の十八時時から二十二時まで働いていた。

たまに残業もしていたがーーーー


繁華街を通りオリーブが見えたとき、一人の女性が店の前で立っていた。二月に入って数日、まだまだ寒い季節だったけど、その女性はわりと薄い格好をしていた。ねずみ色のパーカーに細身のジーパン。パーカーを頭に被って白い息と煙草の煙を混ぜては吐いていた。

僕はその女性を知っている。一ヶ月前に入ってきた新しいバイトの女性だった。確か年齢は二十代後半だったような……


名前は雛形朋美(ひながた・ともみ)。口数は少ないが、カクテルの知識は詳しかった。何度か僕も教わったけど、興味あること以外はホントに無駄話をしない女性である。いい意味でクールな女性。悪い意味で冷たい女(ひと)だった。

僕に気がついたのか、雛形さんがチラッとこっちを見てきた。目線が合ったので、僕は軽く会釈をして通り過ぎようとした。


するとーーーー


「海野くん、知ってる?」と低めの声で言った。


「えっ?」と僕は相変わらず目立たないように返事だけをした。


バイト先でも、極力会話を弾ませるような返しはしなかった。と言っても、雛形さんが話す方ではなかったので、彼女から話しかけられて若干驚いた。

知ってると言われても、主語がなかったので僕としては答えられない。


「知らないなら別にいいけど」と彼女は冷たく返した。


「何のことを言ってるんですか?」彼女の言い方に、僕は余計、気になったので聞き返した。


「新しいバイトが入って来るの。知ってた?」


新しいバイト。正直知らなかったので僕は首を振った。すると、彼女は吸っていた煙草を地面に投げ捨てると靴の裏で踏み潰した。


そして煙草を取り出すと、僕に向かって差し出した。もちろん僕は煙草を吸わないので断った。

そんな僕に対して、彼女は溜め息混じりの息を吐いて煙草に火を点けた。一体、何本吸えば気が済むのだろうか。彼女の足元に三本の吸い殻が潰れていた。

仕事中は吸えないから、吸い溜めをしているのか。普段はあまり吸うところを見ていなかったので内心驚いた。

もしかしたら、かなりのヘビースモーカーかも。


「今年、成人式を迎えた女の子らしいよ。マスターが嬉しそうに言ってたわ」


僕と同い年なんだ。そんな風に思ったとき、煙草の煙を漂わせてから雛形さんは僕の横を通り過ぎた。そして、裏口の扉で立ち止まって、さっきみたいに煙草を投げ捨てて靴の裏で踏み潰した。

僕との会話もなかったように、一人で店へ入るのだった。扉の閉まる音を聞いたあと、僕はなんとも言えない気持ちで立ちすくんでいた。

勝手に会話を振っといて、勝手に会話を終わらせる。よくわからない人である。


そして、僕は腕時計を見て雛形さんが残した煙草を横目に店内へ向かった。頭の中では新しいバイトに来る人を考えていた。

制服に着替えて厨房へ行くと、マスターが雛形さんに話していた。僕も開店準備をしようと厨房へ入る。するとマスターが僕に気付いて、満面の笑みで声をかけてきた。


「海野くん待ってたよ。今日から夜の方で働いてくれる女の子を紹介するよ」とマスターは横に立つ女の子を紹介した。


「初めまして、今日から働かせて頂くことになりました。北城美鈴と申します。よろしくお願いします」と元気な声で挨拶をしてきた。


深々とお辞儀をする女の子に、僕は固まった。艶のある黒い髪の毛。そして綺麗に整えられたポニーテール。僕の中で、あの夜に出会った見知らぬポニーテールの女の子が浮かんだ。

あの子が僕に教えてくれた。大人の成人式に参加した女の子。その子の名前も北城美鈴。僕の鼓動が胸へ高鳴るように響いた。


第35話につづく

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