第30話「蛇夜」

仲居さんの情報で知ったこと。五年前まで『ニジマスの間』は確かに存在していた。だけどここ数年は客足が減った為、ひと部屋減らして従業員専用の部屋にしたらしい。


仲居さんが嘘をつくわけがない。だったら僕は、この部屋で誰と会っていたんだ。念の為、仲居さんに無理を言って部屋の中を見させてもらった。部屋の間取りは同じだったけど、テーブルの上に冷酒も無ければ、ハムの燻製も無い。

美玲さんを押し倒したとき、冷酒を零したけど、畳の上が濡れていた形跡もなかった。


彼女は幽霊!?そもそも露天風呂から出会いが奇妙だった。今になって、幽霊なんじゃないかと考えたらゾッとする。


「お客さん、もう良いですか?」とベテランっぽい仲居さんが言う。


「あ、すみません」と部屋をあとにして立ち去ろうとした。


そのとい、ふと足元に何か光るモノが目に入った。去り際に拾い上げて、僕は御礼を言いつつ、さっさとその場から退散した。あれ以上詮索していたら不審な目で見られる。拾ったモノをポケットに入れて、急いで雫の待つ部屋へと戻った。


部屋に戻ると、予想外にも雫がまだ起きて待っていた。と言っても、かなり酔っ払っているみたいだ。僕の顔を見るなり、ご機嫌な声で「お兄ちゃん、今夜は付き合いなさいよ」なんて言ってくるのだった。


相手にしたら面倒なので、とりあえず無視して、僕は拾ったモノをポケットから出して確認した。赤茶色の丸みを帯びたモノ。良く見て観察する。それが何かわかった。羽鳥武彦から聞いていた鱗に間違いない。


って事は、美玲さんも蛇!?


「ちょいちょいお兄ちゃん。そんなとこでコソコソしてないで、付き合いなさいって言ってるラロ」と雫がお猪口を手にして近づいて来た。


「お前な、いい加減にしろよ!明日は山に登るって言ったじゃないか」と雫へ文句を言った瞬間、僕は言葉が止まった。


「何よ!なんか文句あルロ?」と雫が絡んでくる。だが、その背後の窓から見える光景に僕は目を疑った!


なんと、和室の部屋を跨いだ窓から、誰かが覗き込んでいるのだ!

しかも、ここは二階である。今夜は月も雲に覆われていた為、僕からは黒い形をした人影にしか見えない。その人影は窓に張り付くようにして、雫の肩越しから見つめていた。


「ん?どうしたの、私の後ろが気になルロ」と雫が、僕の只ならぬ雰囲気を感じたのか後ろを振り向いた。


「お兄ちゃん。私、だいぶん酔ってるのかな?窓に人が張り付いているような」と雫が指をさしながら訊く。


次の瞬間、その人影は窓を軽く叩いて後方へ飛び降りた。窓が揺れて、部屋の中に音が響く。僕は姿を確認しようと窓の方へ素早く動いた。

そして、窓を開けようと取っ手に手をかけた。


ガッ!ガッ!


「クソ!施錠してやがる!」


急いで施錠された窓を開けようと、鍵の部分を上にあげて窓を開ける。身を乗り出して真っ暗な外を見下ろした。

僕らの泊まった部屋の真下は、宿屋の裏庭に当たる。小規模な庭園は小さな池と松の木が生えていた。隈なく目を凝らして探したが、窓に張り付いていた人物の姿は見当たらなかった。


「雫!今から出かけるぞ!」


「ほえ!う、嘘でしょう!何時だと思ってんのよ」


雫にそう言われて、部屋の壁に掛けられた時計を見た。時刻は午後十一時を過ぎようとしていた。確かにこんな真夜中に出掛けるのは危険だ。それに雫は酔っ払っているし、明日を待つしかないか。


「わかった。やっぱり明日にしよう。今夜はもう遅い、明日に備えて寝ようか」


「ねぇ、さっきのは何だったのよ!」


「信じられないけど、窓に張り付く人間が居るってことさ。いや、人間じゃないかもしれない。とにかく明日、黒土山を調べよう。きっと何か手がかりが掴めるさ!」


きっと、黒土山には何かが存在している。そして、僕は思った。世の中の人たちが知らない何者かが、この周辺を見張っているかもしれないと。


第31話につづく

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