第40話「黒電話とカレンダーの失意」
朝日が昇る前、毛布の中で包まっていると誰かの鳴き声が聴こえてきた。
目を開けるとチャコの寝顔があった。僕はそっと艶っぽい唇へ指先で触れるように伸ばした。触れた瞬間、チャコが目を開けて小さな声で「おはよう」と呟いた。僕たちはお互い裸で身体を寄せあうようにしていた。
「起きなゃ。雫が泣いてる」とチャコが身体を起こした。
薄暗い部屋の中、チャコの綺麗な乳房が目に映る。彼女が恥ずかしそうに胸元を隠すと三年前と変わらない笑顔を浮かべた。僕は見惚れて手を伸ばすとチャコの頬に触れた。
抱き寄せて首すじを唇で触れる。胸元をおさえた手を掴むと、チャコが後ろ振り向いて畳の上でしわくちゃになった肌着を手に取った。
「雫が泣いてるから」と背中を向けたまま呟いて手にした肌着を着ると、チャコが毛布から抜け出した。
隣の寝室へ行くと、泣き叫んでいた雫の声がやんだ。僕は部屋の壁に掛かった時計を見て、まだ五時半を過ぎたばっかりだと確認した。昨夜、僕たちはお互いの気持ちを確かめるように夜を共にした。あれは幻でもなく、現実だったのだと改めて思っては気持ちが昂った。
「大丈夫?」と寝室からチャコが戻って来たので訊いた。
「うん。ちょっとグズっていたけど大丈夫。もう少し寝かせてあげるわ」
「ああ、構わないよ」
僕がそう言うとチャコが笑顔になる。そして僕のそばに寄り添うと、毛布の中で包み込むようにして寄り添った。昨夜の余韻が残っていたから、僕たちは自然な流れで唇を重ねた。何度も繰り返されるキスは愛に溺れていくようだった。
「ねぇ、一路くんに話さなきゃいけないことがあるの」
「うん。僕もある。こんな風になったからじゃなくて、僕ともう一度やり直して欲しい」
「ありがとう。でも、私はあなたと別れたなんて思っていなかったよ。だからずっと一人だったし、ずっとずっと一路くんが帰って来るのを待ってた。でも、三年前のあの日、あなたは自分を見失っていた。だから話せないこともあったの」
「それは雫のことだよね。あの子は僕とチャコとの間に生まれた子だよ。そんなのはわかってる。僕たちはお互いに、少しだけ違う道を歩んでた。それだけなんだよね」
チャコが僕と別れたと思っていないことだったり、雫のことはきっと未熟な僕たちに、重くのしかかった問題だったんだ。そんな重さが少しだけ、僕たちを遠ざけたのかもしれない。
そんなことを思いながら、僕はチャコと一緒に歩むことを素直に考えての告白だった。だけど、僕にとって横に逸れた真実へ戻される結果になる事となった。
僕が知らなかった、霧子姉さんの闇。
「こんな風に一緒になることを夢見てたけど、一路くんに話したいことは別にあるの。私が一路くんのお姉さんと話したこと。それを話さなきゃ、元に戻ったとは言えない」とチャコはそう言ったあと、僕の胸元に顔を埋めて黙り込んだ。
「話すのが辛いの?」とチャコの髪の毛を触りながら訊いた。
「辛くなるのは一路くんかも。でも、私も辛かった。今となっては、お姉さんがどうしてそんなことを言ったのか真意はわからない。わかったところで何も変わらないけど」
三年前、姉さんとチャコの間に何があったのか?知らない方が良い話もあるけれど、僕はそれを知ってこそ、チャコと一緒になって歩むことを許されるような気がした。
だからこそ、僕が辛くなろうとも二人が交わした会話を聞く事を選ぶのだった。
第41話につづく