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第11話「今日よりも明日が好き」
偽名ばかり名乗っていると、自分の名前がなんだったのかわからなくなる。そんなのは錯覚かもしれないが、これまで名乗った偽名を考えると、ふとそんなことを思っては免許証で確認していた。
そんな生活がここ何年も続いている。私がこんな生活を望んでいると思ったら大間違いだ。私だって普通の生活を望んでいる。じゃなければ、自殺して生涯を終えたい。
だけど、それは無理だとわかっている。私にはそんな勇気もなければ、無謀なこともできない。だからこそ、万年筆を買っては誰かのそばに置いている。それが何よりも、私自身の中で大切なことだった。
数日前に意味もなく拾ったモノを片付けようと、私は部屋の死体に語った。死人に口なしとは言ったもんだ。私の隠された秘密の過去を思う存分話しても、足元の死体は嫌な顔もせずに聞いてくれる。
死体になった女の顔は永遠に美しく、永遠にその美貌を私の目に焼き付けてくれた。だけど、片付けるときが訪れてしまったのだ。
じゃないと女は朽ち果て、枯れ木のようにこの世の終わりみたいな容姿へと変わるだろう。そこまでなる必要はないから、私は自らの手で女を葬ってあげる。
それが私にできる、唯一の優しさと思いやりーーと。
私は思い立ったらすぐに行動へ移す。だから、あらかじめ用意していたゴミ袋へ女を捨てた。違う。心を込めて葬ってあげるのだ。捨てると葬るでは、ずいぶんと意味合いが違ってくるから。
真夜中のドライブに出掛けたのは、女の始末が終わってから二時間後のことだった。思いの外、時間が掛かってしまったが、静かな夜をドライブすると思えば不思議と気持ちは心地良かった。
トランクに詰めた女が転がらないように細心の注意をして、私は優雅に車を運転した。カーブも遠心力と一体化するように緩やかに曲がる。段差があるような道だったら、スピードを落として揺れないように通る。
ナビで道を確認しながら、私は人気のない道を選んで富士の樹海へと車を走らせた。
富士という文字をナビの画面で見たとき、私は昨日の昼過ぎに訪れた女の部屋を思い出す。女の名前は富士山という珍しい苗字。
もしかしたら、この辺の地域の出身かもしれない。もしかしたらの話だ。女の出身がどこかなんて話してもいないし、聞くこともなかった。トランクの死体を片付けたら、この辺の地域に行ってみようか。
どうせこのあと、死体を片付けるのに服が汚れてしまうからだ。街に行けば温泉宿があるだろう。ここからだと熱海は近いし、温泉宿に泊まっても良い。明日のことを考えるだけで、私の心は癒された。
これからの作業を考えると、気が滅入るだけ。だから私は、好きなことだけを考えようと努める。私は何よりも、今日よりも明日が好きなんだ。
そう思うだけで、私の運転は楽な気分になった。トランクに詰めた女のことを思って慎重に運転していたが、明日が来ると考えるだけで、私はいつの間にか女を葬ることより、早く捨てに行かなきゃと思うのだった。
やはり明日が好き。明日が裏切ることはない。それだけは、私の人生ではっきりしている事実だった。
第12話につづく