第35話「潮彩の僕たちは宛てのない道を歩く」
ワイングラスを磨きながら、僕は若干うわの空だった。北城さんの下の名前名前を聞いたとき、僕は見知らぬポニーテールの女の子が言った名前と重ね合わせていた。
『北城美鈴』と彼女が言ったことを覚えていた。
そして、彼女の名前は美鈴。北城美鈴と見知らぬポニーテールの女の子は知り合いで、あの夜出会ったことになる。まさか、同姓同名なんてオチなのか?その可能性も無くはない。ここで僕が彼女に聞けば済む話だけど、どうしてもその勇気が持てない。
何故なら、彼女が大人の成人式を知っているという確証がないからだ。まずは聞き込み調査をしなくてはならない。ごく自然に聞いてみよう。なんてことを考えてみたが、あの夜の出来事を自然に聞くこと自体が不自然じゃないか。
あれは不可思議で、現実だったのもわかっていないのに……
厨房の隅で、黙々とワイングラスを拭いては注文を取る彼女ばかり見つめていた。果たして彼女は、あの北城美鈴なのか?それとも別の人物で同姓同名なのか?答えが見つからないまま、時間だけが過ぎて行くのだった。
結局、何も進展しないまま、僕と彼女は自己紹介を別にして一言も話すことはなかった。そして、夜の開店から二時間が経った頃、同じく厨房で料理を作っていたマスターが、僕のことを呼び出した。
「海野くん、今夜は九時で店を閉めて北城さんの歓迎会をやりましょう。明日はバイト休みだし大丈夫だろう」
バイトが終わったら桃香のアパートに寄ろうかと考えていたが、約束はしていなかったので特に問題はなかった。
だから、僕は大丈夫と返事をした。実際、僕にとっては好都合だった。歓迎会をきっかけに、彼女との距離を縮めれば例の話しもしやすいだろう。
こうして北城さんの歓迎会を、今夜行うことになった。それまで、僕は黙々と業務をこなすのだった。客が八時半過ぎに居なくなったので、マスターの号令で店を早々と閉めることにした。
僕が生ゴミを捨てに裏口から出ると、裏口の塀のそばで、煙草を吸う雛形さんの姿があった。
「どうも」と声をかける。
すると、雛形さんは返事もせずに、煙を夜空へ向かって吐いた。煙は綿菓子みたいな塊で漂ったあと、空間へ溶け込むように消えた。沈黙が続いて、少し肌寒い風が足元に吹いた。
「海野くん、歓迎会に参加するの?」と雛形さんが沈黙を破るように訪ねた。
「はい」と短い言葉で返す。
「へぇ、海野くんも参加するんだ」
少し上から目線を感じるような言い方が気になったので、僕は生ゴミをゴミ箱に捨てながら、何故と聞き返した。
雛形さんは煙草を投げ捨て、僕の反対方向へ含み笑いをした。
「やっぱり、海野くんもマスターと一緒なのね。私のときは歓迎会も無かったけど、二十歳の可愛らしい女の子だと対応が違うのね」とずいぶん棘のある言い方で言う。
雛形さんらしくないと思った。僕の勝手なイメージで、クールで冷たい女(ひと)だと思っていたからだ。
でも、確かに雛形さんのときは歓迎会がなかった。そりゃ、雛形さんとしては面白くないかもしれない。
「マスターの気まぐれですよ。そんなの気にすることじゃありませんよ」
「そう?別に気にしてないわよ。ただ気に入らないの」と最後は呟くように言った。
「だったら、参加しなければ良いんじゃないんですか」
「海野くんは参加するんでしょう。だったら、参加しないわけにはいかないわ。それに興味があるしね」と雛形さんはそう言って、僕の方を見てから口元に笑みを浮かべた。
そのあと、何も言わずに店内へと戻るのだった。
潰された煙草の吸い殻が、雛形さんの気持ちを表しているかのようだった。踏み潰されたまま余韻が煙草に残る。
興味があるーーーーと最後の一言だけが、僕の頭の中で繰り返されていた。何かを企んでいるのか?それともただ単に意味もなく言ったのだろうか。
雛形さんの言葉を気にしながら、僕は今夜、歓迎会で北城さんと距離を近づけようと考えていた。
果たして、彼女は大人の成人式へ参加した女の子なのか。
それとも違うのか!?
第36話につづく
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