第10話「アネモネ」
会社をあとにして駅に向かってる途中、恵子がタクシーを拾おうとした。これで明日が休みだったら飲みに行くだろう。久し振りに恵子と飲むのも悪くない。サンドウィッチのお返しもできる。何となく借りを作ったような気がして気分が落ち着かなかったからだ。
「タクシー来ないわね」と恵子が走り去って行く車を眺めて言う。
「タクシー乗り場に行くしかないか」
「ねぇ、こうなったら昔に戻らない?」
昔に戻らないって意味がわからん。僕は立ち止まると恵子の顔を眺めた。もしかして、こいつは未来から来た人間でタイムマシーンを持っているのか。
そんな馬鹿みたいなことを思いながら、恵子の顔を真顔で見つめた。
「あの頃、私たちの関係って今と違ってたでしょう。たった二人の同期で何でも話す仲だったじゃない。なんかさ、今の私たちって顔を合わせれば憎まれ口を叩くでしょう」
「お互い様だから気にしてないよ。昔の関係に戻る必要性を感じない」と僕は少し冷たいけど、そっけなく答えるのだった。
枝の枯れ葉が落ちていく間。あいつはお互い様と口にした。僕にとって一番ズキっと胸を引っ掻いた。振り返ることは後悔してると変わらない。
冬が訪れると春を振り返り、夏が訪れると秋を振り返って寂しくなっちまう。逃れることができない命の終わりのようだ。誰もが身体を酷使してフィナーレに向け毎日を生きようとしている。
ゴールで待っているのは誰でもない。
待っているのは最後の場合、平行線の先だって・・・・・・
「お互い様か・・・・・・」と恵子があの頃みたいな顔を見せた。
「わかったよ。で、どうすれば良いんだよ」
学生の頃、初めての彼女ができた時、僕は女性の扱いが下手くそだった。結局は不器用な奴ほどモテないってことだ。ゲーマが初見でクリアできないように、女性の攻略はラストダンジョン並みに難しい。
だから、こう言う時は折れるのが攻略の鍵だったよな。カルマは人気者で誰からも好かれていた。あんな風に誰からも好かれたら、僕の人生も少しは楽しかったのか。
『簡単なダンジョンより、難しいダンジョンの方が楽しいものよ』
あれって、カルマ的に何を言いたかったのだろう。今夜はゆっくりと考える時間はないけど、時間は誰にも平等に与えらている。多かれ少なかれ、貴重な時間を几帳面に整えるのも必要だろう。
たった二人の同期で昔に戻ろうと、今夜の僕たちは夜の街へ消えて行くのだった。
第11話につづく