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第10話「今日よりも明日が好き」
日傘が必要になってくるような日差しを浴びながら、僕は仕事場から雫が働く一休(喫茶店)へ向かった。
遠く空は入道雲が見えていた。まるでマシュマロマンみたいだと想像しては、懐かしい映画、ゴーストバスターズのテーマソングが頭の中で聴こえた。
もしも、今回の件がゴースト的な話だったら、僕の出番はないだろう。きっとゴーストバスターズを呼んだ方が解決する。僕はゴーストを退治できるノウハウはないんだから。
喫茶店に到着すると、純喫茶のマスターが挨拶をして来た。挨拶と言っても変わらない笑顔と会釈である。マスターは耳が聞こえない障害者だったけど、手話を使って、やって来る客と会話を交わす達人だった。声を必要としていないやり取りに、僕は不思議と会話が出来ていた。ここへやって来た客は、みんな経験する不思議な会話なのだ。
懐かしい時間が流れる喫茶店。席には懐かしのインベーダーが残っていたし、所々煙草の跡がある絨毯生地の椅子は座るものに安らぎを与えてくれた。ここに初めて来たときから、僕は憩いの場所として通うようになったのだ。
この日昼過ぎだったのか、カウンター席に背広姿の男性客と奥のテーブルに客が一人ずつ居た。奥のテーブル席に週刊誌を読む一人の老人。どうやらあの人が山頭火さんと思われる。僕の姿に気づいて、奥からメニュー表を持って雫が現れた。僕は手を挙げて雫に小さな声で聞いた。
「あの人が写真家の山頭火さん?」と奥のテーブル席をチラッと見る。
「そうよ。紹介するわね」雫はそう言って、僕の手を引っ張りながら老人の名前を呼んだ。
山頭火さんは読んでいた週刊誌をテーブルに置いて、僕たちの方を見て微笑んだ。どうやら感じの良さそうな人みたいだ。わざわざ立ち上がって雫が僕を紹介すると、黒豆みたいな瞳で見つめて微笑んで頷いた。
「ほほ、山頭火と申します。あなたが雫さんのお兄さんですな」
「初めまして草餅です」と僕は軽く会釈して、向かいの席に座った。
「お兄ちゃんは小説家なのよ。デビュー作が賞を取ってるんだから」と雫がマネジャーみたいに、僕の経歴を話し始めた。
「僕は小説家と思ってませんが、それよりも今日はすみません。雫からあなたが撮った写真を見せてもらったのですが、気になるモノが映ってました。あなたはアレが何かわかりましたか?」と僕は例のシーラーカンスが映っている写真を山頭火さんの前に出した。
「ほほ、さすが小説を書くだけの先生ですな。その言い方だと、あなたはあの白いモノの正体を知っておられる」と山頭火が言う。
「ええ、映っているのは生きた化石と呼ばれるシーラーカンスです。間違いないでしょう。でも、僕は小説家としてリアリティを求めています。だから信じられないのが本音です」
「ほほ、それはそうでしょう。だけど世の中には想像を超えた瞬間が存在しています。この写真に映っているモノも瞬間を捉えたようなものです。草餅先生がホントに真実なのかを知りたいのなら、私が知っているお話を教えますよ」
この老人は何かを知っている。僕は何も答えないかわりに、持参したボイスレコーダーをテーブルに置いた。これが僕の正直な気持ちだ。今から語られる話しに興味がある。想像を超えた瞬間があるなら、僕はその真実を知りたいと思っている。
「さて、何から話しましょうか。少し長くなるかもしれません」と山頭火はそう言って、マッチで擦った火を、口にくわえた煙草へ火を点けた。
ゆっくりと煙がテーブルの真ん中で上がったとき、興味深い物語の一頁が語られた。真夜中に現れるシーラーカンスの物語が。
第11話につづく