久しぶりの投稿。私は今沈んでいる。 というのも、熱い思いを託していたコンビが賞レースで敗退したのだ。 そのコンビの名は、『Dr.ハインリッヒ』 どんなレースで敗退したかについては、好きな人なら一瞬で分かるので多くは語らない。 彼女たちが今年でその賞レースに出られるのは今年で最後。全く見られなくなるわけではないけれど、一つの彼女たちの物語が終わりを迎える。そこから新しいものが始まるとしても、今はその終わりゆく物語に万感を馳せざるを得ない。 万能ではないかもしれないけど
1日1エッセイを、やめてみようと思う。 50記事足らず。早すぎ、三日坊主、根性なしと言われるかもしれないけど、思い立ったがなんとやら。 毎日書くのが嫌になったわけじゃない。嫌と全く思わなくはないけど、 それよりも「今の生活には適してないのでは?」 と、感じた次第です。 せっかくはじめたものを手放すのは惜しい。しかしより、渾身のものを創り上げていくために、今のスタイルと一旦離別してみます。 とはいっても、それなりに書くだろう。 一つ書いたら次のものを考えられなくな
スーパーの帰り道にすごくいい表現を思いついたけど、忘れてしまった。 いつもはタイトルを一番最後につけるのですが、今日は書き始めた途端にぴんときた。それくらいしっくりきている。 ”忘れるってことはそれだけのことだったんだ” とは、私は思えないタイプ。忘れたくないことも忘れてしまうし、覚えていたくないことはけっこう覚えている。記憶は都合よく働いてはくれない。 ただ、"忘れる"ということについて私は胸に残っていることばがある。 「千と千尋の神隠し」銭婆が云ったことば。
食事は基本的に楽しいものとされてるけれど、私の場合そうとも限らない。 それは食べたいものがない、ということが稀ではないからだ。そして、その頻度も増している気がする。 昼ごはんなどは特にゆっくりできないから、いい加減になりがち。 一応、私にも好きな食べものはある。 麺類は大体好きだし、辛いもの、甘いものも好き。海鮮系もよく食べるし、ごまどれをかければ野菜も大抵いけるし。 ただ、「これが食べたい!」という、食に対する貪るような欲求は起こらない。時には最終的におなかを満た
本日は、日ごろというか、ずっと思っていることを書いてみます。 最近何かと「コミュニケーション」という言葉が乱用されている気がする。私だけだろうか。それができないと、人としての前提条件を兼ね備えてないような、そんな扱いをされる。 つながること、つながれることが当たり前になっている。 そんな現状が特に最近蔓延していると思います。社会でも学校でも、絶対的に自由であるはずの音楽や文学でも。 それはとても危険なことじゃないのか?と。 SNSが発達してあぶない目に遭う子どもが増
こんばんは、ウツラウツラです。 近頃なかなか物書きの時間がとれなくて、悩んでいる。 時間がとれないというのは、単純に時間がない、という訳ではない。 少しの時間を休息にあてていると、そのままだらだらしてしまって思わぬ間にもう寝ないと明日に響く時刻。元々気力体力に乏しいため、起きあがってやる前に布団への引力に伏してしまう。 私より創作に向き合って、時間をかけて、書き連ねてる人はいっぱいいる。そんな中で一日のうち3,40分ほどで物書きをしている私が、「敵うのか?」という疑問
こんばんは、ウツラウツラです。 休日に、生活リズムをくずしていく。 今日も色々やりまして、午後6時くらいからは案の定、憂欝に。 この日曜の憂鬱感は、拭っても拭っても消えない。 「やれた」ことじゃなくて、「やれなかった」ことが思い出される時間帯。 未消化な思いを抱えながら新しい週が始まることを考えて、気分が沈む。 満足にやりたいこともできないのに何で働いてるんだろう? そんな思いが頭を埋めて、身体の奥が重くなる。 脂っこいものを無理やり食べたような心もちだ。
こんばんは、ウツラウツラです。 暖房をつけるタイミングを窺っているこの頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。 今日はというと、一日中寝ていました。 生産性はないけど、私的にはよき一日。 夕方~夜20時頃に寝ていて起きた時には、少し軽い絶望感が襲ってきます。 ただ、その後の頭がぼーっとする感じ。これがたまらない。 感覚が敏感になってるのか、鈍重になってるのか、それすらも分からずに、とりあえず冷たい水で口を潤してみる。 それがなんだか心地よくて、 外に出てみると肌寒
こんばんは、ウツラウツラです。 ファントム・バイブレーションに悩まされている。 最近記事を書くとき、何を書こうか、と悩む日がざらにある。 そんなときは過去のnoteを振り返って読んでいます。 気恥ずかしいとすごく続いてるが8:2 私にしては間違いなく、よくやってると思いたい。 授業で出てた「今日やったことの振り返り」 あれがすごく苦手だった。思い返しても浮かぶことがなかった。 ただこのnoteの振り返りは、何かが満ちてきて、次につなげよう、そういう気持ちになる
こんばんは、ウツラウツラです。 寒くなってくると、我に帰る瞬間が多くなる気がします。 いつのまに、ここまできたんだろう? と、ふと気づく。周りを見るときれいに整列したおとながたくさん。 私はここで何をしてるんだ。 廃墟の中で外が何時かもわからないまま、訪れる人とことばを交わして、次会えるかもわからないのに「またね」なんて言ってみる。 そういう日々をいつまでも繰り返すはずだったんだけどな。 おとなの世界は「もうこっちに来ないと」と、催促をやめない。 そしてこれか
こんばんは、ウツラウツラです。 皆さまお勤めご苦労さまです。 ふとスケジュール帳をひらく。 十分の八ほどが、白い口を開けて放り込んでくれるものを待っているが、その目途はたっていない。 まあまだ時間あるし…と半分ひねながら待っていると、 あ、という間に時間がすぎて、もう残り半分をひねることになる。 暇なのは好きだが、もう少し人と過ごしたい気持ちも大きい。 一緒に暇に付き合ってくれる人はいないものか。 それじゃ、
こんばんは、ウツラウツラです。 とにかくつかれた。 本日は、とにかくとにかく、 「責任」「根拠」「理論」といったようなことばを浴びせられ続けた。 こういうことを聞き続けると、何も悪いことをしてないのに、責められてる感じがするのですごく嫌だ。 できてることは半ば当たり前と見なされるのに、小さなほつれは近距離から接写されていく。 ズームして引きのばされて、自然にできる穴も許されない。 もっとやさしい世界でいいのに、と思う。それじゃ、
こんばんは、ウツラウツラです。 時刻は12時をまわって、AM1:00. 乾ききった部屋の中にざらついたパソコンの音を響かせて、ぱちっ,ぱちっとキーボードを叩く。 安らぎのひと時、かと思いきや、荒れた頭の中を整理するのに必死。 どうせまた荒れるならそのままにしといてもいっか、とも思うけれど、今はこの作業が日々の糧になっていると信じてるので。 それじゃ、
こんばんは、ウツラウツラです。 2020年の余命も、残りわずかになってきましたね。 私は時々、発作のように、大きいものへの憤りが湧いてきます。 ふとしたときに。なんだろう。 ものにもよるけど、元々他の人とまとまって動くことはそんなに好きではありません。多人数集団ともなるとなおさら。 もしも世の中で多い方が「可」とされるならば、私は「不可」になることから逃れられない。 それはいいけど、やつらは干渉してこようとするから、たちが悪いのだ。 「不可」でいいからほっといて
こんばんは、ウツラウツラです。 日がおちてだんだん薄い赤から青色になって、やがて黒く染まっていく、 あのグラデーションに今日は間に合わなかった。悔しい。 ここ最近はコロナの影響もあって営業時間を短くするお店が多いせいか、 行ってみたら閉まってた、ということがやたらとあります。 そういう時に限って、大体ほかのお店も閉まってて路頭に迷う。 おなかは空いてるけど何で満たしたらいいかわからない。 そして例によって今日もそのパターン。 あてもなく車を走らせ迷うのにも疲れ
こんばんは、ウツラウツラです。 あと一日で休み、の一日が長く感じる今日この頃です。 本日は19時退勤、20時帰宅。24時には寝たい。ご飯とお風呂を引いたらあと3時間。どうしたら有効に時間を使えるだろう……。考えるの疲れた、とりあえずケータイチェックしなきゃ、あ、このニュース気になる。これは多分見出し詐欺だけど見たいな…そうだツイッターも消化しなきゃ、…………… こんな風にして一日が終わってしまいがち。 休息という意味では、けして悪くはないけど、満足感は得られない。