こちらあみ子 と、オーディションのこと。
少しだけ思い出してみてほしいのは、あみ子によく似た何かは存在したということ。
あの頃は変な奴だなって思ってた。そんな子もいるだろうって。
そこから仲良くなったり、ハブられたりはどんな状況だってあり得るわけで。
大人は教えてくれなかった。聞いても言葉を濁されるばかりだった。
諦められた子供はそのまま変わることがない。
今思えば、なんて遅すぎるんだ。
あの子は何か違うよねって違和感のままなんだ。
どちらかというと私はそういう子と関わったことは多い。
担任の先生に2回くらい頼まれたから。
「あの子の面倒を見て」
「あの子の手助けをして」
なんで私がやらなきゃいけないんだろうって思った。
でもその子は確かに助けが必要で。
関わるうちに気付いた一番の難関は「知らない」ことだった。
どうして分からないんだろう?と不思議だったけど、簡単なことだ、誰も教えてないから。
見返りはその子の笑顔だけ。
べったりくっついてくる子もいた。周りの友達と疎遠になった。
その子を引き剝がして遊びに行くこともあった。怒られた。
私の自由が無いことに気付いて、担任に世話係はもうしないと言いに行った。
「やめたいっていう相談じゃないん?」と先生は言った。
「違う。相談やったらうちまたやらさせるやろ。やけぇ、もうせんって決めたそ」
「それは困るんやけど」
「困っちょるのはうちやし!」
職員室を飛び出した。あの子はすぐまた一人になった。
「独りになる」ことはすぐに理解したらしく、近づいては来なかった。
時々話しかけた。反応が無かった。そんなもんかと思った。
気持ち悪いとか可哀そうとかそりゃ私だって読んでる途中は思ったよ。
でも何かしら分かるような気がしてまた凹むよね。
で、自分の娘をじっとみて、あぁ、って思う。その目。
分からないことは罪なのかって、親の自分はどうなのかって責められてるような気がする。
自分の記憶と、思い出せない空白と、娘の発する自分だけの言葉と、産んだ私。
広島に生きる私達は、すみれの花すら共存させてしまうから妙に質が悪い。
何も出来なかった自分に落ち込むことなんてない。
手違いで殺してしまった蝶々の方がよっぽど可哀そうだって言い聞かせていた。
こちらあみ子、全部読んだ次の日にオーディションに行った。
多分、あみ子が「3」なら、うちの子は「5」だろう。
それは13歳くらいになると「10」を超えていく。
あの子を演じられるのは、「40歳」になった自分なんじゃないだろうか。
見た目が10歳くらいになれば、私は演じられるんじゃないだろうか。
娘の無邪気な笑い声と、無邪気さに対して「殺す」って返した男の声がフラッシュバックした。
のり君は幻だろう。そうに違いない。
色んなことをほじくり返されて少しだけ吐き気はしたけど、しばらく実家に帰ってないからなんだと思うことにした。
オーディション会場にひとり消えていく娘の背中を笑いながら見ていた。
私は一体この子に何をさせようというんだろう。
そんな気持ちにもなった。
学校帰り、兄に殴られない為に毎日のように逃げ込んだ市立図書館。
紙の匂いはあまり好きじゃないから、今は電子で読めて便利になったもんだ。
今からピクニックを読もうと思う。
それでまた私はあの汚い川のどぶを攫いたくなるんだ。
追伸:
娘に「オーディションどうだった?」と感想を聞いたら、「面白かった!」とだけ。
何がどう面白かったのかは、彼女の中にあって、時々思い出したように話してくれる。
それを期待したい。