頑張って貯めたバイト代をドブに捨てるようにたった3日間滞在しただけで念願のペルー旅行を中断したことを意味ある経験にするためのnote
やってみたい仕事のひとつが、国際ジャーナリストだ。
まるでその夢が叶ったような経験だった。(語弊ありまくりだな。わらペルーで起きてることはそんなポジティブなことではありません。)
LAを発つ1週間くらい前から雲行きは怪しかった。
前大統領が罷免されて、新しい大統領が就任したことで、前大統領の支持派が大規模なデモを起こしたとのニュース。
前大統領の支持派と、反対派及び治安部隊が国内各地で衝突を繰り広げているらしい。
最初はそんなに心配してなかった。
ペルーの政情はここ20年ほどずっと不安定で、これまで何度も、直近ではつい3週間ほど前の11月末にも、非常事態宣言が一部の地域に出ていたくらいだった。
そんくらい政情不安が当たり前のペルーだから、外務省の渡航危険レベルも、首都のリマやマチュピチュ近郊の都市クスコでは最低レベル。ましてや渡航禁止令なんてでてない。
気をつけてれば大丈夫そうだったので、渡航することにした。だって航空券安くないし!そう簡単に諦めれんし!
着いてそうそう(実際は渡航の1日前だったんだけどねわら)、事態はいつもと違うってことに気付かされ、たった3日でこんなに進展してしまった!
デモ隊の侵入によっていくつかの空港がしばらくの閉鎖。それに伴い相次ぐ飛行機の欠航。
最終的には、ここ最近は一部地域にしか出てなかった非常事態宣言が、国全体に発出。
これによって政府は軍隊を派遣できるようになり、デモ隊と治安当局との衝突はより過激になると思われる。
依然として命の危険を感じるようなことは、夜にかけて活発になるデモ隊に近づかなければ、無い。
国家警察が街の中心に大量に集結してるけど、みんなスタバ飲みながらダラダラお喋りしとった。仕事しろ。
でも、今回の旅のハイライトだったマチュピチュに行ける保証もない、いつ首都の空港が閉鎖されてペルーに取り残されるか分からない、いつ命に危険が及ぶか分からない、色々考えて帰ることにした。
こっからが本題。
驚いたのは、日本時間の15日昼になって、ようやく日本のマスコミがペルーの状況を報じ始めたこと。1週間以上前から起こっとった混乱なのに。(一応調べたらちょっとは出てきたけど)
絶対行くなって言われると思って黙っていた親も、結局こちらから連絡するまで気づかず。
友人たちも、(正直もっと早い段階で心配の声が聞こえると思ってたんだけど、笑)一切気づいてない様子で。
LAに居る友達ですら(LAはペルーとの時差が日本ほどなくて、比較的近い距離にあるのに)、電話するまで気づいてなかった。
無理やり意味ある経験にしようと思って書いてるんだけれども、これに関しては無理やりの後付けとかではなく本当に興味深いなって感じた。
確かに日本人にとっては知る必要のないことかもしれんけど、反対側とはいえ同じ地球の一国が、ちょっと異例な形で大変なことになってるのに、日本はこんなにも無関心なんだと思って。
お前ら気づけよ、ってことじゃないよみんな。わら
きっと自分もそうだったけ、ペルーに行くことが無ければ。
今サッと調べたけど、
中国の北京でコロナ感染再拡大、習近平政権に打撃
干ばつによる南カリフォルニアの水不足やばい
ウクライナ結構巻き返してる
とか、あ、今知ったわみたいなニュースが多い。南カリフォルニアとか住んどるのに。
こんなに無関心で大丈夫だろうかと思った。
中国とロシアと北朝鮮に囲まれて、アメリカとの関係が深い日本。
あー気づいたらなんかみんな揉めてて間に挟まれて攻撃されてたーあせあせ、なんてことになったら。
自分の出身国の話じゃないから国際情勢知らなかったんだもん、で済まされるか?
こんなに面白くない伝え方で逆にどうやって世界を知れと言うんだマスコミ、と思った。
背景を伝えないと!なんで?が知りたいんだけみんな。
そんなこんなで、国際ジャーナリストになりたい、がちょっと強くなったかもしれないペルー旅行だった。
伝える意味ってこういうことなんだなーって。
日本人、平和ボケしてんなーって。
調子に乗りました。
悔しいんです、楽しみにしていた旅行ができなくなって🥹😭
でもこれが世界の現実なんだな。
帰ったら何しよう。友達ほとんど実家帰っちゃったんだけど。笑う。
年末のニューヨークを楽しみに、のんびり冬休みを過ごそうかな。はたまたLA周辺をブラブラしようかな。
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