乱反射 10.
パンケーキを食べ終わった後、樹梨はトイレに行くと言って席を外した。
「樹梨ちゃんって、私の事件を知ってるの?」
姉は樹梨が席を外したのを見計らったかのように、私に聞いた。
「知ってるよ」
私は答えた。姉が殺された翌日、私は樹梨にメールで伝えている。忌引きで三日休むから、と。その時は樹梨から電話がかかってきて、心配してくれた。一緒に受けている講義はノートを取っておくから任せてと言ってくれた。
「話題に出さないようにしてるんだ。あえて事件から遠ざけて、美月に辛い思いをさせないにしてるってこと?」
「きっとそうだよ。最近の樹梨って、これまで以上に明るく振る舞ってる気がするの」
これはおそらく思い過ごしでは無い。あの電話以来、樹梨は姉が殺された事には一切触れてこない。一度たりとも、話題にすることは無いのだ。それは、樹梨なりの配慮なり優しさなのかもしれない。だからこそ、それが見ていて辛い。
「お待たせ。どうしたの? 暗い顔しちゃって」
トイレから戻ってきた樹梨は、座っている私を不思議そうに見つめた。
「何でもない。……ちょっと、考え事をしてただけ」
「そっか。あんまり考え込むなよ」
樹梨はそう言って、私の頭をわしわしと激しく撫でた。
「ちょっと! 髪がぼさぼさになるじゃない」
私が慌てて髪を手で直すと、樹梨は「よし、それだけ元気があれば大丈夫」と言ってけらけらと笑った。
辺りがすっかり暗くなり、私たちは駅に向かって歩いている。駅が見えてきて、児童公園を通り過ぎようとした頃、私は樹梨に聞いてみた。
「ねえ、樹梨。気を遣わなくていいから」
「何の話?」
前を歩いていた樹梨は振り返って聞き返す。
「お姉ちゃんが殺された事、思い出させないようにしてるんだよね? ……無理しなくて良いから」
これは私の本心だ。話題を遠ざけて、無理して私に気を遣って必要以上に明るく振る舞う。見ていて痛々しかった。だから、やめてほしかった。すると、樹梨はにこっと作り笑いをした。
「まさか、考えすぎだよ。そんなことより、明日の講義って何限から?」
「はぐらかさないで! 傷付くのは私だけで良いから。だから、樹梨に負担を感じてほしくない。見ていて辛いの。すっごく辛いの」
言葉を発する度に涙が出そうになる。私は本当に弱い人間だ。いつからここまで弱くなったのだろう。親友に負担をかけて、道連れにして傷付けて、最低だ。
「無理してるのは、美月だよ。あたしたち親友じゃん。一人で背負いこまないでよ。一人で傷付かないでよ。そりゃ、あたしは何も出来ないよ。でも、あたしは美月に寄り添うことが出来る。……あたしを頼ってよ」
樹梨は今にも泣きそうだった。声が震えている。樹梨のこんな姿を見るのは初めてだった。確かに私は樹梨を頼ろうとはしなかった。いや、頼るのが怖かったと言った方が正しいのかもしれない。だって、樹梨を巻き込みたくなかったから。樹梨まで傷つけたくなかった。そんな中途半端な気持ちが、かえって樹梨を傷つけた。
「私……私、樹梨に負担をかけたくなかった。だって、親友だから」
「親友だと思ってたら、あたしを頼ってほしい。だって、あたしは美月の一番の味方でいたいから」
私の目から涙がとめどなく溢れて、頬を伝っていく。どうして私は、こんな事に気付かなかったのだろう。私には、いつも側にいてくれる大切な人がいたということに。
もう抑えきれなかった。私は子供みたいに、大声で泣きじゃくった。涙が溢れてきて止まらない。樹梨の前で抑え込んできた感情が滝のように堰を切って止まらなかった。樹梨は私に近付き、そっと抱き寄せた。その優しいぬくもりの中で、どんどん泣けてきて、声が大きくなっていった。
「あんた、素敵な友達がいて良かったね」
私たちの横にいる姉は、優しく語りかけた。
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