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暴君ちゃん

 俺は夏姫(なつき)のことを心の中で『暴君ちゃん』と呼んでいる。夏姫は優秀で完璧な漫画家だ。絵が雑誌で一番上手でストーリーも最高に面白い。美人でとにかく愛想が良い。編集部の評価は最高だ。俺はその最高の評価を得ている美人漫画家の担当編集者になったと聞き、天にも昇るような気持ちで彼女の職場に言ったものだった。しかし、その淡くてふわふわした期待は、ハンマーでガラスを叩き割るように簡単に崩れた。「これからあんたは、私の下僕としてみっちりと働いてもらうわよ」
 アシスタントは夏姫に絶対服従、そしてなぜか俺より立場が上だ。担当の俺の意見はほぼ聞かず、アシスタントの意見ばかり取り入れる。これで素晴らしい純愛物語が紡げるのだから、訳が分からない。彼女を天才と称賛するべきなのだろう。
「大福作ったんだけど、あんたも食べる?」
 二人で打ち合わせをしていた昼下がり、夏姫は珍しく俺にこんな提案をしてきた。実に魅力的な提案だと思った。夏姫は台所から二つの大福を載せた皿を持ってきた。その大福はどちらも赤みがかったものだった。というより、俺の目の前にある大福に関しては真っ赤だった。
「これ、何で赤いんですか?」
「人参入れたからじゃない」夏姫は手前にあった大福をぱくりと口に入れる。「美味しい」夏姫は顔を綻ばせる。
そして、俺に大福を食べるように催促する。「早く食べなさいよ」             
「あの……俺のだけ妙に赤くないですか?」俺は尋ねる。
「そんなこと無いわよ。眼科にでも行って来たら?」返ってきた答えは、いつものように辛らつだ。明らかに怪しかったが、俺は仕方なく大福を口に入れる。口に入れるまでのこの瞬間は、とてつもなく長く感じられた。まるで、死刑執行を待っている死刑囚のようだ。
 口に入れると、いきなり辛みというより痛みが襲ってきて、思わずむせた。体温が沸々と上がってくるような感じがして、無性に水が欲しくなった。辛い、それ以外の言葉が出てこないくらい、思考が停止してしまっている。それを見て、夏姫は馬鹿みたいに大きな声で笑っていた。
「何ですか、これは?」唇の痛みに耐えながら聞く。
「ブート・ジョロキア。世界で最も辛い唐辛子よ。それの粉末をちょっと混ぜたのよ」
「あんた、頭おかしいのか!」
「そうかもね。だって私には常識なんていう観念はないから」
 その後、俺はずっと辛さと痛みに悶え苦しんでいたが、夏姫はそれを見てずっと爆笑していた。とんでもない暴君ちゃんだ。そして、「早く打ち合わせの続きをするわよ。あんたなんて私が漫画を描かなきゃ、乞食同然なんだから」と強引に打ち合わせを再開させようとした。
 暴君ちゃんの暴政はこれからも続くのだろう。

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