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記憶を紡ぐ糸 第6話「恐怖」

 私の脳裏に浮かんだ光景の話を聞いて、相沢先生は唸るような声を出した。スマートフォンが発見できなかったことが、彼を一層唸らせた。

 あれからも、何度かスマートフォンに関する光景が思い浮かぶようになった。電話をしている場面、メールをしている場面、イヤホンを差し込んで好きなシンガーソングライターの曲を聴いている場面。どう考えても、あれは私の所有物であることに間違いない。でも、見つからない。それが私たちを悩ませていた。

 バス停に降りて家に帰る途中、私は妙な違和感を覚えた。心臓がばくばくと大きな音を刻み始める。そこまで暑い日でもないのに、汗がだらだらと頬を伝う。この違和感は初めてではない気がする。

 私は辺りをきょろきょろと見回した。見えるのは住宅ばかりで、人の姿が見当たらない。それでも、私は誰かに後をつけられているような気がしてならない。私は歩くスピードを速めて、その場を立ち去ろうとする。それでも、その違和感が消えることは無い。私は怖くなって、走りにくいヒールで懸命に走った。

「誰かにつけられた?」

 鞄を床に置いた友一さんは、驚いたように高い声を出した。

「……分からないけど、何だかそんな気がした」

「気のせいじゃないの?」

「そうだと良いんだけど……。とにかく怖かった。家に帰って来てから、ストーカーに後をつけられる光景ばっかりが頭に浮かんできて。やっぱり、その時の違和感によく似てた」

「つまり、若葉ちゃんは昔、ストーカー被害に遭っていたってことか?」

 私は「分からない」と答えるしかない。家に帰って来てから、私の脳裏に、そのように考えられる光景が何度も浮かんだ。夜道で後をつけられたり、家の玄関に謎のプレゼントが置かれていたり、そのように考えるのに十分な光景だった。でも、そうだと断定することは、現時点では出来ない。あまりにも不確定すぎる。

「不安だな……。病院には行くために必ず外出しないといけないし、携帯を持っていないと、いざという時は不安だ」

 友一さんはそう言うと、突然鞄を持ち上げた。私は彼の行動がよく分からず、ただ眺めている。

「どうしたの?」

「今から携帯を買いに行こう。まだ閉店まで時間があるだろ」

 テレビの上にある時計は六時半を指している。確かに、まだ開いているだろう。

 友一さんは車の鍵を手に取り、足早に玄関に行き、さっきまで履いていた革靴を取り出す。私はあまりの行動の速さにただ呆然と見ていたのだが、彼に「早く!」と促されたので、私も玄関まで慌ただしく走った。

 車で十五分程の場所に、国内シェア第一位の会社の携帯電話ショップがあった。友一さんがそこの会社の携帯電話を使っていることから、私もそこの携帯電話を選ぶことになった。私は出来るだけ安いものにしようと思ったので、そこで最も安いピンクのスマートフォンを買うことにした。

 携帯電話を買うことが出来て、私以上に友一さんは安堵の表情を浮かべた。

「何かあったら、それで俺に電話してほしい」

 私は彼を見ていて可笑しくなる。他人のことを自分のことのように心配してくれる彼を見て、私は彼を信頼していいのだなと感じていた。

 翌日の午後、私は以前紙に書いてもらった相沢先生の携帯電話の番号を押す。この時間は相沢先生が、休憩中だから気軽にかけてきて良いよと言っていた時間だった。数回の呼び出し音の後、ガチャっと音がした。

「もしもし、相沢先生ですか。高宮です」

「はい、そうですよ。高宮さん、携帯は見つかったのですか?」

 いつも通りの柔らかで飄々とした声だが、どこか驚いているようにも聞こえた。

「いえ、新しく電話を買ったんです。先生にそれを報告しようと思って」

「そうですか。次の外来は土曜日の十時半からです。忘れずに来てください」

「分かりました。それでは、その時にお願いします」

 私は目の前に誰もいないのに、お辞儀をしながら電話を切った。部屋は一気に静けさを取り戻した。私は色々な人に支えられているのだな、と実感した。

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