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記憶を紡ぐ糸 第11話「男の正体」

 私が記憶を無くしてから、五か月が経とうとしている。少しずつ記憶を思い出しているが、私はある重要なことをまだ思い出していない。私はなぜ、あの人気のない階段の下で倒れていたのかということだ。あそこは立花女子大学とは逆方向にあり、ここを通ることはまず考えられない。他の理由を探してみたが、そもそもあの場所は町の外れにあるから、行く理由が見つからない。誰かに呼び出されたのだろうか。考えれば考えるほど、堂々巡りになってしまう。

 私は病院の外来を終え、家に帰ろうとする。時間は午後の二時を回っていた。私はストーカーがいないか、辺りを見回す。停留所の辺りには、人がちらほら歩いている。警戒していると、歩いている人すべてがストーカーに見えてくるから、恐ろしいものだ。私は周囲を気にしながら、家への道を歩き始める。

 やはりストーカーらしき足音が後ろから聞こえてくる。私が早足になると、後ろの足音もやはり早くなっていく。私は恐怖の念に駆られながら、開けた河川敷がある方へ方向転換した。その足音も、その方向へついてきた。開けた河川敷で、ストーカーの顔を見てやろう。危険な行為かもしれないが、私はそうでもしないと気が済まなかった。後をつけてきているのが、私の記憶に現れたストーカーだったら、何か私の記憶について知っているのかもしれない、そう思ったからだ。

 河川敷にまでやってきて、私は恐怖を感じながら後ろを振り向く。そこに立っていたのは、グレーのパーカーに黒いジーパンの中年男性だった。彼は私が振り向いたのを、しまったというような顔をして見ていた。

「何なんですか、あなたは。あなたは私のストーカーなんですか?」

 勇気を振り絞って私は言葉を発する。男はその言葉を聞いて驚いたような顔になり、首を横に振った。

「違う。俺はストーカーじゃない」

「じゃあ、どうして私を付け回すんですか?」

 私がそう言い放つと、男はジーンズのポケットから名刺入れを取り出し、私に名刺を渡した。名刺には、相川探偵事務所の兵藤(ひょうどう)文明(ふみあき)と書かれていた。

「勘違いをさせて、申し訳ありません。クライアントからも、あなたはストーカー被害を受けているから、慎重に尾行してほしいと言われたのですが……どうも私は、尾行が下手みたいですね」

 兵藤は申し訳なさそうに、頭を下げた。つまり、彼はストーカーでは無いということらしい。でも、彼の話を聞いて、二つ疑問が生じた。

「クライアントって、誰なんです? それと、あなたは何を調べているんですか?」

 私の言葉を聞いて、兵藤は言おうか言わないか迷っていたようだが、彼は口を開いた。

「私のクライアントは、牧村花帆さんです。彼女から、突然いなくなった友人を探してほしい、見つかった場合は、高宮さんの近辺調査をしてほしいと依頼を受けました」

「花帆から、ですか」

「はい。牧村さんは、非常にあなたのことを心配なさっていました。この数か月あなたの近辺調査をしたのですが、あなたは今、非常に危険な生活を送っているようです」

「危険? 一体、何が危険だって言うんですか?」

 私は兵藤の言った言葉に耳を疑うしかなかった。そして、彼の発言の主旨が理解できなかった。

「あなたは、ストーカーの正体をご存知ですか?」

「いいえ、分かりません。ずっと考えてきましたが、心当たりがありません」

 彼はそうですか、と力なく呟いた。そして、彼は言い放った。

「あなたのストーカーの名前は、八神友一。あなたが一緒に生活している男ですよ」

 私はその一言を聞くと、思考が止まったような気がした。

「冗談ですよね? 証拠はあるんですか? 友一さんは、私の命の恩人なんですよ」

「証拠はありますよ。これを見て下さい」

 兵藤が取り出したのは、私の記憶に出てきた、あの水色のスマートフォンだった。兵藤によると、友一さんはこのスマートフォンをゴミ捨て場に捨てていたらしく、彼はそれを拾ったようだ。

私は兵藤からスマートフォンを受け取り、受信メールを確認する。受信ボックスにあるメールは、ストーカーからの迷惑メールで埋め尽くされていた。生々しい言葉たちが並んでいる。

 電話の着信履歴も確認する。すると、同じ番号ばかりが表示された。それは見覚えのある番号だった。友一さんの携帯電話の番号だった。

「あなたが住んでいた周辺部で聞き取りを行ったのですが、八神と思われる男が何度も目撃されているんですよ。身長百八十センチほど。痩せ型で赤いニット帽をかぶった奥二重の男がね。完全に八神と一致するんですよ」

 私は友一さんがニット帽を持っていたことを思い出した。確かにそれは、赤いニット帽だった。私にハンマーで殴られたような強烈な頭痛が襲ってくる。ある記憶を思い出したのだ。それは、私が振り向いた時にわずかに見えたストーカーの顔。紛れもなく、友一さんだった。

 信じられなかった。というより、信じたくなかった。私は友一さんを信頼していた。友一さんだけは、心を許せた。それなのに、友一さんはストーカーだった可能性が高い。信頼という城壁が、音を立てて無残に崩れていった。

「とにかく、あの男と一緒にいるのは危険です。早く逃げた方が良い。さもないと、あなたはあの男に何されるか分かりません。そうなると、私は牧村さんに会わせる顔がありません」

 兵藤は必死で私にそう言った。花帆は私のことが心配で、彼に依頼したのだろう。もしかすると、これは彼女が想定した中でも最悪の事態の部類に入るはずだ。

「私に時間を下さい。彼に真実を確かめてみます」

「無茶だ。あなたは正気か。最悪の事態を考えて下さい!」

「分かってます。でも、真実を確かめたいんです」

 無謀だということは分かっている。でも、確かめなければならない。向き合わなければならない。そうしないと、私の記憶は戻ってこないのだから。

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