歴史から見るパンの在り方
画像のパンは、バンドロデヴ。
私が初めてパンに触れ、そこから独立に至るまでの間お世話になった会社の、元上司の方が、フランスのある村で焼かれていたパンを、日本で親しみやすいようアレンジして紹介したパンです
先日、しばらく焼いてなかったこのパンを焼くにあたり、改めてその方の著書を読み返していて、何度も唸ったんです
パンの誕生は8000年前の古代メソポタミアまで遡り、そこから文明の進化に寄り添いながら、パンは進化を遂げ現在に至ります。
その進化には、都度何らかの事象や問題が発端としてあり、それらを解決する経緯があった筈
もしそれらを時系列に並べたら、世に存在してきたパンには其々生まれた理由があった事が目に見えて、大いに腑に落ちると思います
ところが、この何十年かは、これって食べ物?という感じの材料の開発やこれまで無かった製法や斬新なアイデアなどによる進化と並行して、健康への懸念や温故知新的な観点から、熱い思いを持った逆行の流れもあるのですが
かつては糧として人の生活に寄り添ってきたパンという存在が、ここ何十年かは嗜好品の意味合いも少なからず入ってきて
そこには、作り手の大いなるエゴの存在って否定出来ないなと
自分も含めて、そうして作られるパンを、歴史的観点で見ると、大いなる矛盾があって、これってどうなのかなと思ってしまった
モノを作る事に没頭すると、視野って狭くなります
それはそれで大変価値のある事なんですが
結果出来上がったモノのガチンガチンに凝り固まった感じって、パンの魅力である大らかさ、みたいなものから少しズレてしまってるように思います
作り手が、これでもか、と言わんばかりの思いを込めて焼いたパンは、食べる側もウッとなって、ちょっと固まってしまう気がするから
自分が焼くパンには、受け取ってくださる方の心身が解れる様な空気を持たせたいと、改めて思っています
もっとピュアな仕事がしたい
かつての上司の著書から、そんな事を考える種をもらいました。
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