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まっしろ。

ずっと好きな対象を掘り下げて、そこから派生したものをまた掘り下げてというようなことばかりやってきたけど、自分のことに対して掘り起こしもせず、ずっと置き去りにしてきたように思う。

そういう人のことを知っている自分がスゴイって思ってきた。
まるで何者かになったような。

元新聞記者の
稲垣えみ子さんが書くコラムが好きだ。

https://toyokeizai.net/list/author/稲垣+えみ子?ismmark=a

その中の一文にこういう言葉を書かれていた。

「何しろ私が生まれてこのかたずっと目指してきたのは、身もフタもない言い方をすれば「他人様に一目置かれるワタシ」になることだった。

バシッと言葉になっている。

ワタシもそうだった…
人よりすごいって言われたかった。
しっかりしてるねって言われたかった。

今思うと、それがなんだったんだろう。

負けないように
馬鹿にされないように
でも嫌われないように
本当の自分を出したら嫌われてしまうから
一生懸命出さないように体に力を入れて生きてきた。
いや、今もまだそうだ。

誰がそうしろって言ったんだろう。
誰も言ってないのに自分で勝手に解釈して
そうしろと言われたと勘違いして生きてきてしまった。

多分、その法則がどこかで上手く成功した(ように見えた)ことがあって、
似たような現象が起きた時、過去に成功した(ように見えた)その法則を採用し続けてきたのはワタシだ。

けど、ここまで生きてきて
なんだか見渡してみたら、
正しいと思い進んできた道が
見えない敵に必死に挑んできたせいで
思い通りに整備できていなかった。

嫌われたくなかったからしていたことのはずなのに
まるで逆効果になってしまっている。

ワタシは
自分の未消化部分として

・他人の意見を自分が考えたかのように言う

・他人のアイディアや意見を引用元やアイディア元を明記せずに書いたりする。

・手を貸した後に、何もアクションがない
(お返しくれとかぢゃなくていい、ありがとうでもうれしいのに)


そして別のカテゴリで言うと

・関わりが浅いのに、知ったように言う

・わかってると思っていたらわかっていなかった
(つまり知ったかぶり)

とかいう出来事たちにまだ異常に心がザワザワ
(反応)する。

そう言う時の感情はなんだろう。

上の3つに対しては「ズルい」かな。

下の2つに対しては
「浅いのにそんなのわかるの?」
「なんで素直にわからないと言えないんだろう。」

多分キーワードは
ワタシのほうがわかっているという、
「横取りされる恐怖(賞賛など)」
だと思う。

そうやってここ数ヶ月
置き去りにしてきた自分を掘り下げてきた。
まだ全然足りないケド。
全然、問いを立てても中から答えが出てこない時がある。

ワタシはきっと、人の反応を見て
自分を変えるクセが当たり前になっていたせいで
自分の中に問いを立てて聞くということをしてこなかった。

つまり外側の現象に自分を合わせてきたから
自分の本当の気持ちがわからないワタシが完成されてしまっていた。

「どうしたい?」
自分へのこの問いかけは本当に大事だ。

心、潜在意識、無意識、呼び方はいくつかあるけれど、
その初期設定がそうだから似たような現象が何回も起きる。
そして現象に対処してしまうから、同じ結果を生む。
で、信念が強まる。
のくりかえし。ループ。

心の掘り下げ、洗い出し。
人の掘り下げ、洗い出しができるなら
自分にもできるはず。
やってこなかっただけ。
人より自分に興味持とうって、最近は素直に思えるようになった。

自分で自分に興味を持ってあげてください。

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