僕という人格を作っているものvol.1 四畳半神話体系
季節は移ろい、だんだんと湿度が高くなってコーヒー豆の焙煎もしにくくなってきた。湿度60%って水分値60%って置き換えたら、よく考えたら人間と同じじゃね?じゃあ人間って空気じゃね?なんてアホなことを考えるくらいには、今年も暑さにやられてきている。今日は、先日「はやとぅーさんが、まだまだ一番大学生みたいですね」と3歳下の後輩に言われた僕という人格を作り上げている、世界における諸材料の一部分を紹介しよう。
四畳半神話体系を知っているか
読者諸君は「四畳半神話体系」という作品をご存知だろうか。知っている人間は、この先を読まなくても良い。私が言いたいことはもう既にわかっているだろう。知らない人間もこの先を読まなくてよい。素晴らしい作品ではあるが、私が書いているこんな駄文より本編を読んだ方が有意義だからである。時間を無駄にするでない、時間を無駄にしたいなら堂々と読み進めるがよい。
森見登美彦の文体をいざ真似してみようとするとなかなか難しいことがわかる。やはり彼は天才であることがわかったと同時に、愚かにも模倣に挑戦したことを謝罪しておきたい。
四畳半神話体系という作品は、森見登美彦が書いた小説である。黒髪の乙女と送る薔薇色の学生生活を夢見る主人公私が、大学に入学したのちに、その幻想虚しく様々なユニークな登場人物に翻弄されていく様子が面白おかしく描写されている。冒頭は私小説かと思いきや、終盤に連れてファンタジーのような要素も取り入れているため、飽きることなく一気に読み進めることができるだろう。また、この小説は何度でも読み直したくなる魅力を持っている。
詳しい内容を僕がここで説明したところで、本編の魅力を伝えることは到底出来ないと思うので、割愛する。しかし、この小説は面白おかしく描かれているものの、僕たちが人生を生きていくにおいて重要なことを説いている小説であると僕は思う。
僕たちが目指すべき存在、樋口師匠
登場人物の中に樋口師匠という人物が出てくる。物語の最後まで、彼は結局なんの師匠かわからないのだが、弟子たちに無理難題を課す大学8回生である。彼の達観した生き方は見事であり、周りからの評価など一切気にしていないような堂々とした生き様は流石である。その生き様こそ、師匠が師匠と言われる所以であると本文内でも言及されている。
彼が発するセリフは全て格言めいた雰囲気を宿しているが、中でも僕が感銘を受けたセリフがある。今この記事を書いているのも、先日僕が愛車で多摩川沿いの道を走っている最中にふとこのセリフを思い出したからだ。
「可能性という言葉を無限定に使ってはいけない。
我々という存在を規定するのは、我々がもつ可能性ではなく、我々がもつ不可能性である。
(中略)
大方の苦悩は、あり得べき別の人生を夢想することから始まる。自分の他の可能性という当てにならないものに望みを託すことが諸悪の根源だ。今ここにある君以外、ほかの何者にもなれない自分を認めなくてはいけない。」
このセリフは実に真理を説いていると僕は感じた。
僕を含め多くの人間は、自分の持っているかもしれない可能性を考えて生きているだろう。未来における可能性を考え、次の段階に踏み出すことは大いに有意義だと思う。しかし僕たちは多くの場合、未来の可能性だけではなく、過去の可能性までも考えてしまう。「あの時こうしていれば」、「もし環境が違っていたら」などと、無限のたらればループにハマったことは誰しもがあるだろう。
そんなこと考えても無駄だとわかっていても、考えてしまう。これこそが人間の愚かであり愛すべき部分である。しかしながら、そんなしょうもないことを考えて時間を無駄にするわけにはいかないのだ。だからこそ不可能性を愛そう。何者にもなれないが、自分自身になれている自分を愛そう。
駄文の終わりに
この記事を読んで少しでも「四畳半神話体系」が気になった人は今すぐにでも読んだ方がいい。実はアニメもすごく良いクオリティのものがあるが、個人的には小説から先に入ることをおすすめする。
最後まで僕が書いたこんな駄文を読んでしまったあなたは、とんでもない阿呆である。しかしながら、何者にもなれない、そんなあなたが僕は大好きだ。