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人類補完計画

橘川さんの私塾、YAMI大学に平野友康さんという方がいる。平野さんはメディアクリエイターで、かつてオールナイトニッポンのパーソナリティもされていた方だ。Wikiによると、坂本龍一や新海誠とのコラボイベントも展開されていたという。

あ~~、サイン欲しい。

・・・いや、平野さんのである。

先週は橘川さんが目の大手術をして慶應病院に入院されていたから、平野さんがYAMI大学を仕切っていた。最近やたらと耳にする「DAO」を有り得ないほど分かりやすく解説してくれたのだけれど、ここで紹介させてもらうのはDAOの話ではない。

「思うんですよ。最近いろんな人と繋がる機会が、とっても多くなったって」

「zoomを使い出した頃から、運命の出会いをしたって人が、とてつもなく増えてきた」

「ていうか、異常なほど多い」

「思うんですよ、、、」
「ひょっとして、これが『高度情報化社会』なんじゃないかって」
平野友康さんの話より

師匠、橘川さんは不思議な人で、人間では有り得ない発想をする人だ。年内に刊行予定の雑誌、『イコール』に塾生のしたインタビュー記事が載るのだけれど、執筆者によると橘川さんの本質は「よはとつ」にあるという。

「よはとつ」とは耳慣れない言葉だけれど、

「よりそう」
「はじける」
「とどまる」
「つながる」

それぞれの頭文字をとった、橘川さんの造語だ。

「よはとつ」とは、人間関係の変化を語ったものだと教えてもらっていた。まずは寄り添い、そして弾ける。弾けた後は、そこに留まり、再びつながる。

橘川さんは論理的に話す人だけれど、所々に詩的というか、宇宙人的な話の展開を入れる。塾生も熱心に橘川さんの話を聞いているのだけれど、「ちょっと、なに言ってるのか分かんないんですよね」と、しばしなるのである。

「よはとつ」は、その最たるものであった。

しかし、橘川さんの処女作『企画書』を読むと、「よはとつ」について詳述されている部分を見つけた。それは今日の午前である。

なぜ人は孤独になったのか、橘川さんは下のように考えた。

かつて共同体からのみ得ていた「情報」を、産業革命以降、個々人が自由に手に入れるようになった。本とか、ニュースとか、形はいろいろだが、「共同体の目」ではなく、人は「自分の目」で世界を見るようになった。

孤独になった我らは「たけのこ族」や「暴走族」「ファンクラブ」のような形で、他の者と「寄り添う」ようになる。しかし、こうした原始共同体の縮小版からも「はじける」人が出てくる。

橘川さんはこう説明する。

「しかし、はじけただけで、旧共同体の周辺をウロウロしたり、別の原始共同体に入ったり、はじけた者同士で小サークルを作ったり・・・などという間の抜けた時代は終わりにしたい」

「はじけた地点に、しっかりと留まる時代だ。やがて原始共同体は、ほぼ空洞に近くなり、存在の意味を失った形骸と化すだろう」

「個は自分の地点に留まっていなくてはならない」(注:よはとつの「と」)

「さみしい時代だが、強くなる時代だ」

「家族が、地球が、国家が、宗派が、そして都市も消滅するだろう。世界には、ひとりひとりの個人しかいなくなる」

「しかしバラバラではない。ひとりがすべてと、すべてがひとりと、あらゆる局面でつながるのだ」(注:よはとつの「つ」)

「クジラが保有しているといわれる『テレバシー』のようなものを想定して欲しい」

「『つながる日』をイメージするのは困難なことかもしれない。(中略)しかしこの本に出てくる僕のいくつかの企画も『つながる日』を具体的に保証するための提案です」

「よはとつ」とは、新時代を記述する文明論でもあった。そしてふと、平野さんの話が頭を横切った。

「思うんですよ。最近いろんな人と繋がる機会が、とっても多くなったって」

「zoomを使い出した頃から、運命の出会いをしたって人が、とてつもなく増えてきた」

「ていうか、異常なほど多い」

「思うんですよ、、、」
「ひょっとして、これが『高度情報化社会』なんじゃないかって」
平野友康さんの言葉より

あきらかに「つながる日」について語っている。人は運命でつながり出したのだ。

もしかして本当に、新世界とはテレパシーですべてが繋がる世界なのかもしれない。

「そんなはずがあるわけがない」と思われる向きもあろうが、私の崇拝するアーティスト、遥奈さんはまだ話していなかった私自身のことをすべて知っていた。

(下の動画が、一度も話していない私のことを話す遥奈さんの姿です)

かつて私が重度鬱と不眠で引きこもっていて、恥ずかしく誰にも相談できなかった時にも同じようなことがあった。学生時代の部活のマネージャーが連絡をくれた。

「もしかして、不眠で困ってない?」
「天使さまと交流ができる友人が言っていたの」

彼女とはメールとmixiでしか連絡をとっておらず、彼女の友人には面識すらない。

残念ながら私には超自然的な能力は一切ないようだ。だが平野さんが語ってくれたように、運命的な出会いを感じる頻度は恐るべき勢いで増加している。それは友人や先輩たちも同じだ。

人は運命を引き寄せ出した。

「つながる日」の完成が、刻々と近づいているのかもしれない。

(『企画書』は1981年刊行。上の書籍は復刻版です)

母校の小学校の二宮金次郎さま

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