優しさの正体ってなんなん?そいつをズバリお伝えしよう😆
(メモ:第11勝第4節の始源の遅れの話の後に挿入済み)
かつて世界の半分を机の上だけで作り上げたマルクス。奴は、「この世の豊かさ。それは目に見える富を蓄積することだ。豪華絢爛に着飾ることだぜ」って言ったんだぜ。
資本主義がどういう風に出来たかを解明しやがった心憎き研究者、M・ウェーバー。奴は「資本主義の精神って欲望だわ。モノを貯め込むことしか考えてねぇぞ」って、プロテスタンティズムをおもくそ批判した。よく怒られんかったよなぁ。
ウェーバーが書いた本って、『プロテスタンティズムと資本主義の精神』、通称『プロ倫』つう超絶名著だ。だけんこの本って結構の人が、プロテスタンティズム(キリスト教のプロテスタントの精神)礼賛の本だって思ってる。それ全く逆だぜ。「資本主義になったら、人ってモノにしか興味がなくなった。プロテスタンティズムのせいで、神は殺された」くらいのこと言ってるんだわ。よく怒られんかったよなぁ。。。
つか、何が言いたかったかって言やぁ、「今の社会って、外の世界、つまり『目に見えるモノ』にしか目が行ってねぇ」って話をしたいのよ。内面世界完璧無視じゃんって話。
で、この前、断捨離について調べたじゃん。断捨離って元々ヨガの話から来てるもんで、ヨガの指導者の風岡久美さんって起業家に聞いたんだわ。
したら超詳しく教えてくれた。
「無関心にならない、自分に意識を向けてあげる。そうすると自然と良い物事が繋がる。こう実感してます」
人間の幸せって、そりゃ色んなモノ、欲しいモノの中にあることだってあるぜ。だけん、アドラーも言ってるけん、やっぱ人とのつながりなわけよ。人間の幸せなんて、究極的ニャア。
確かに外界を見てると「何かを手に入れ」られるわ。だけん、信頼を得るのってその逆だったわけよ。「手放」さんといかんかった。
捨てるとか手放すとかってさ、風岡さんは内界を観察することで出来るって言ってる。一緒にいて「楽しい」とか、信頼してもらって「嬉しい」とか、分け与えてみて「幸せ」とかって話だ。全部内界の話だよな。こん時、分け与えてるじゃん。言ってみりゃ捨ててるわけよ。内界が充実する時って、捨てた時ってことよ。だもんで内界見てると捨てられるのよ。
で、この内界の話ってさ、全部「感情」の話になってるじゃん。「楽しい」「嬉しい」「幸せ」って、全部感情だもんな。こいつをちょい深掘るぜ。内界って何かを明らかにしんといかんで。
【ユングのタイプ論】
フロイトとかアドラーと並び称される、歴史上3大心理学者の一人に、C.G.ユングって名の奴がいるのよ。え?知ってる?・・・すまぬ。
で、こいつがさ、人との繋がり方を分類したわけ。その繋がり方っつ~のは4つ。
「思考」
「感情」
「感覚」
「直感」
これだわ。
そんでさ、ちょい話は変わるぜ。(すまん、すぐ関係するでね!)
この間、高校生を教えてたら、「実在論」と「観念論」って話ん出てきたのよ。さすが高校だわな。超難いじゃん。
で、この実在論って奴は、「俺っち、存在するモノしか、見えるモノしか信じひんでのぅ!」って、マルクスタイプの奴なのよ。「客観的に見えるモノ」だけが正義って奴だ。
逆に観念論って奴ぁ、「主観とか、解釈が重要」みたいな奴なのよ。
ちょいまとめてみるぜ。
んでさ、これまでの世界ってどんな世界だったか。マルクスが言ってたな。「目に見えて、客観的に正しいもんだけ評価する世界」だってな。だもんで今の世界って、実在論に立ってるわけよ。
だけんさ、人間とつながる方法って、思考とか論理だけじゃないじゃん。感情とか感覚とか直感だって使うに決まってる。そもそも感情らを評価しないって時点で、人とつながることが頭から消えるって証拠よ。論理とか思考しか評価しないってこたぁ、目に見えるもの超重視。それしか評価してねぇってことだわ。豊かさを追求しまくって、やたらガメつく、いいモノばっか欲しがってるってことだわ。
だもんで実在論じゃあ繋がれないのよ。人間的に。論理だけしか語らん人間なんて、友達作れるわけんねぇぜ。
さらに、よ。断捨離するにゃあ感情が大切だったじゃん。風岡さんがしてくれた話にあったじゃん。「内面見つめると捨てられる」って話。論理しか重視しない実在論の立場だと、「捨てる」ことん出来ない。単純に損したくないもんで、「得ようとする」ことしか出来ん。そいつが外の世界の論理だわ。自分だけいい目見たいもんで、贅沢なものに囲まれようってやつだ。逆じゃん。信頼ってエゴ捨てたときに得られるのにな。だもんで、外の世界しか見てない奴らって、信頼得たり仲間作ったりするのなんて、土台無理なんだわ。
「内面の幸せって、いっしょにいること」
「内面を見たとき、捨てられる」
「信頼は捨てたときに得られるから」
じゃあ
「内面って何か?」
つったら、感情とか感覚とか直感みたいな主観のことよ。そいつが内面。物質社会に足蹴にされてきたやつ。客観に比べて超不安定なやつ。こいつこそが人のコアなわけよ。不安定こそが主役。
「俺らって安定な世界・客観世界・完全な世界に住んでる」なんて意識、単なる幻想だわ。世界は常に動いてる。
動いてる世界って、仲間がいる世界のことよ。で、仲間作るためにゃあ、人の主観みなきゃダメだぜ。「こいつ、こう思ってるな」ってこと、言葉だけじゃなくって、表情とか、感情の揺れとか、一緒にいる雰囲気とか、全部総動員して掴まにゃな。じゃなきゃ仲間んなれん。
言ってみりゃ、感情を観察すること。そいつが優しさの正体よ。
カウンセリングの神さま、カール・ロジャーズは流石だぜ。理屈は組み立てられんかったけん、「感情を観察しろ。そうすりゃ人は優しくなってく」って気づいてたもんな。「優しくなってく」、それって「仲間になる」とか「自分で仲間を作れるようになる」って意味よ。人間関係再構築して、心の病から復活できるってことなのよ。
逆に客観の世界のやり方、決まり切った規範を人に強要するなんてさ、人をモノ扱いしてるのと同じなわけだわ。そいつの感情も感覚も直感も完璧無視して、「これだけが正しい。やれ!」「貴様の意見なんぞどうでもいい。何の価値もない!これをやれ!」って命令する。
そんなやり方で学べるはずんない。人にゃあ歴史や感情があって、それに沿ってそいつなりの学び方が決まってくるだもんで。客観なんて地獄だわ、そんなん。まぁ、正直に告白すると俺もやっちゃうことんあるだけんな。マジすまん!ごめんね!でもある程度は我慢してくれよ。
だって、塾に来て「自習」って名目で、一日中ゲームしてたりするだぜ。「勉強しろ」「もうちょっとだけ」。それ5時間繰り返す。スマホ取り上げたらブチ切れて殴りかかって来た生徒もいたわ。で、柔道技で返り討ちにさせてもらっただけんな。殴ってないに!柔道だで。
ゴメンナサイ。
厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)
これ、家康が生涯旗印にした言葉だ。100万円で忠臣に裏切られて敵方に売られるわ、子供ん時からずっと人質だわ、絶対勝てるって戦いで完敗するわで、地獄みたいな生活させられてきたわけよ。桶狭間で信長に負けて、もうだめだって自殺しようとした。死のうと思って、岡崎にある菩提寺の大樹寺に帰った。これマジだわ。
で、そのとき、和尚さんにどえらい喝を入れられて得た言葉。そいつが「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」。戦国みたいな穢土(えど:汚れた争いばかりの世の中)を離れて、浄土(天国みたいないい世の中)を作るって意味だぜ。ご存知の通り、家康は実際300年続く天下泰平の世を作ったわけよ。
俺らもこっから新しい時代の幕を開けんといかん。人はモノじゃねぇ。人は人の住む場所にいなきゃいけねぇんだよ。
客観を殺せ。全ての苦しみの根源はこいつにある。主観を観察しろ。感情・感覚・直感を。浄土はそこにある。
お読みくださいましてありがとうございます。
めっちゃ嬉しいです(^^♪
起業家研究所omiiko 代表 松井勇人
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