『経済人の終わり』から戦争を考える。その2 「戦時中はすべての国がファシズムとなる」
「我々は力だけを肯定し、力こそが我々を正当化する」
ファシズムとはそうしたものだった。
全体主義は大企業がもたらすものではない。大企業のトップにファシストはほとんどいないのだ。
また、プロパガンダがもたらすものでもない。当時の新聞はヒトラーやムッソリーニを嘲笑した。ナチが作った新聞は誰も読まず破産しそうだったほどだ。
ならば何がファシズムを作るのかと言えば、何も知らず振りかざしてしまう正義感だとドラッカーは言う。
ヒトラーは『我が闘争』でそれを巧妙に操った。
彼は言った。
「嘘は必要」
だと。
あえて大会で嘘を語り、
「これはプロパガンダだ」
と付け加える。
そして、大衆は熱狂した。
革命の勝利はいつも何も知らない野次馬の熱狂によりもたらされる。
ファシズムはすべてを壊す。
戦時、すべての国がファシズムとなる。
敵だけでなく、国民をも壊してゆく。
敵だけがファシストではないのだ。
ナチの指導者らは「約束や真実には意味がない」と公言した。
民衆は約束にも真実にも興味を持たず、ただファシズムだけに興味を抱いた。困窮した人々は、何より力を求めた。
「何も知らずに振りかざす正義感」なのだ。ファシズムを作るものは。
ならば正義感はどう暴走させられるか。
全体主義は自らを説明しない。彼らに信条などない。
ファシズムのすることとは、
"病気"の場所を示し、
”病気”の人種を示し、
”それ"を取り除け
と言う。
それ以外をしない。
子供や被害者、困窮、あらゆるものを使い扇情する。
叩くべきものを明確にすると、正義感は暴走するのだ。
ならば、今まさにファシズムに陥っているものはなにか。
真実も信条も語らず、ただ扇情し「"それ"を取り除け」と言っている者は誰か。
ロシアか、アメリカか、日本のメディアか。
戦時、すべての国がファシズムとなる。
我々は正義感を暴走させられてはいないか。真実を見つめ、哲学を築かねば。ファシズムは哲学無しで見つめることはできない。
信条を説き、ファシズムを見抜け。
争いがそれ以外で終わることはない。