つながりから音色が聞こえた
かつての仲間が死んだ
かつての仲間が死んだと、橘川幸夫さんが話してくれた。
橘川さんはRokin’on誌の共同創業者。同誌は1972年に創刊。日本で発行部数ナンバーワンを誇った音楽雑誌だ。
先輩たちがいつも橘川さんのことを話してくれた。一ヶ月ほど前、彼のクラウドファンディングにほんのわずかな額だが投資させてもらった。そのときから縁をいただいている。
大物で親分肌なのだが威張らない。
「ビートたけしのような人だな」
そんな風に思った。
とてつもない第一線級の人たちをまとめている。語り口が談志やたけしを彷彿させる。
橘川さんのメルマガを何気なく開くと、Rockin'on誌を共に作った松村雄策さんが亡くなったと綴られていた。
縁の人
橘川さんは「縁」の人だ。
私は、エフェクチュエーションという起業理論を研究している。そこで因果そして縁とはなにか、を考えさせられている。
「立派なことを言う人ほど、どうしようもない人だって思うんだ」
「もちろん個人的な見解だけれども」
かつて印刷会社の営業をしていたとき、上司からそう言われた。経営学を学んできた身としては、身震いがするほど耳が痛かった。
今は彼の言葉通りだと思う。全員とは言わないが、8割方はそうだと。もちろん、私自身も例外ではない。
彼らは因果の人なのだ。
科学の人、と言い換えてもいい。
「スイッチをひねるように、人を操作できないか」
「大金持ちになるための黄金率はないか」
物理法則を使うように、人を操作し富を得ようとする。私にしても、大金持ちになる法則を考え続けているのだから、救えないレベルのバカだ。
因果と違い、縁起はそうではない。
橘川さんは、メディアを神経系メディアとホルモン系メディアに分けて考えている。神経メディアは情報をモノのように大量伝達させ、ホルモンメディアは喜怒哀楽、人間のライブ感覚を喚起させる。
ホルモンのようにじわじわと情報が広がるために、そう名づけたそうだ。Rockin'onのような、読者投稿雑誌がそれである。
市場は人間関係と同義
エフェクチュエーションでは、「市場は人間関係と同義」だと説く。すなわち、市場は縁でできあがっていると。新市場はコミュニケーションから作り出され、どこかにあるものを見つけ出したりするものではない。因果的なものではないと言う。
大学で教えているような、最初から市場を捉えられるものではないと。
原著では、「熟練起業家は、マーケティングをまったく信用していない」とすら述べられる。マーケティングに対するアンチテーゼなのだ。エフェクチュエーションは。
橘川さんなら、「そいつは子作りと同じだ」と言うかもしれない。
男と女の関係が深まって赤ん坊が生まれる。市場とは、いわば関係性から生まれる赤ん坊だ。その子が男の子か女の子か、活発なのか静かなのか、勉強ができるかできないか、そんなものはまったく予想できない。
予期せぬ成功を捉えねば熟練起業家にはなれない。計画にこだわるのは企業素人なのだ。MBAでは後者を教えるが、それではダメだという。本当に起業を教えたことにはならない。エフェクチュエーションはそう警告する。
「少女の像に、赤いちゃんちゃんこを着せる」
そんな表現もあった。
とある場所の少女の像が寒そうだと、住民がいろいろな服を着せだした。核となるものに気持ちを動かされ、皆が思い思いの方法で自分らしいものを作る。そこになにかが生まれる。関係性から大切なものが生まれる。
Youtubeの「歌ってみた」とか、コミケの二次創作が大きな市場になる。製品よりむしろツーリングを重視するハーレー・ダビットソンもそう。
縁を紡ぎ出して市場を産みだす。リーダーが重要なのではなく、フォロワーがなにかを受け取って、なにかを生み出す。フォロワーが重要なのだ。
これらすべては、関係性を深めることから始まる。お金を払ってくれる人を探すのではない。今いる顧客や仲間を大切にするのだ。
ただ、そこになにが生まれるかは分からない。機転を効かせるか、計画にこだわるか。世界に開かれていねば本当の起業家ではない。
新・狩猟時代から、新・農業時代へ
これは戦略ではない。新・狩猟時代から新・農業時代に変わったのだ。
既存の戦略論では、欲しい獲物を直接手に入れることが重視された。エフェクチュエーションでは、まず人間関係という土壌を作り、そこから何かが生まれるのを待つ。
重要なのは人間関係という土壌なのだ。獲物ではない。土壌さえあれば、さまざまな作物(市場)をいくらでも作ることができる。そこで求められるものは人を出し抜く頭の良さではなく、他者と力を合わせる誠実さだ。
競争ではなく協奏と言ってもいい。
科学(因果)とアート(縁起)の違いでもある。
科学が「?」を「!」にするものであったなら、アートは「!」を「?」にするものだ。
不思議なものに法則を見つけ出す科学と、なにか面白いものを「これってな〜んだ?」と他者に投げかけるアート。
科学は答える。
アートは問いかける。
起業は答えではなく、人に問いかけるアートだ。
メタバースは時間を空間化する
橘川さんはフューチャリスト(未来学者)。ネット時代の先駆者で、今はAIやメタバースにのめり込んでいる。
メディア学者のマーシャル・マクルーハンは、「西欧文明とは空間を支配した覇者」だと語っている。アメリカの新興企業のアプリが、あっという間に世界に広まるように。
しかしその一方で、10年間存続する企業は少ない。すなわち西欧文明は空間を支配してきたが、時間の実権を握れずにいた。
逆に、世界で200年以上つづく老舗企業の65%は日本の会社だ。2位はそれでもアメリカで、11.6%となっている。世界を制覇する企業が「成果」を重視するのに対して、歴史の実権を握る日本の老舗企業は「人間関係」を重視する。そんな研究がある。
孟子は覇道と王道という言葉を残し、覇道を王道の世界へ導くことが政治の理想だとした。言ってみれば、他者を出し抜く狩猟型(覇道政治)と、関係を育てる農耕型(王道政治)ということになる。
自分だけがいい思いをする覇道政治と、人が人として生きる国をつくる王道政治。
そして私は橘川さんの夢の話に恐怖を覚えた。メタバースによって時間が空間化されてしまったなら、覇道政治に時間までもが支配されてしまうではないかと。
夢の話が本当かどうかは分からない。ただ言えるのは、橘川さんから聞かせてもらったRocin'on創業者の話、松村さん、岩谷さん、渋谷さんたち4人の話。喧嘩をしながら何彼つき合ってきた話を聞いていると、時間がゆっくり流れたということだ。
児童文学の『モモ』流に言えば、時間泥棒に奪われた時間を取り戻してくれた。
僕はこの時、大学時代を思い出していた。96年からの4年。あの時分はフォークソングが似合った。スピッツやミスチルはフォークの系譜だと僕は勝手に思っている。
橘川さんがつくってくれた時間で、もう一度あの時代に会える気がした。
「12歳の頃のような友達を持てた事は、二度となかった」
『スタンドバイミー』ではそう締め括られたが、大学時代には「また持てたじゃないか」と皆で笑った。今、あの気配が再びするのだ。
3月22日は村松雄策さんの弔いの日。
センチメンタルにもなるけれど、橘川さんなら死者さえメタバースに復活させてしまうかもしれない。
ロックは永遠をつくりだすのだ。
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めっちゃ嬉しいです❣️
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