
自らはどこまでが自分で、どこからが他人なのか?
村上先生から『人間の建設』を教えていただいた。
「中世は、自分を自分としか捉えられない者を、罪の子だと教えた」
とある。
果たして、自らはどこまでが自分で、どこからが他人なのか?
絵で表現してみようと思った。
書籍にあるように、自分だけを考えた。

明らかに罪の子である。
自らを減らせばどうか?

死を予感させる。
他者を招き入れようではないか。

狂気が消えた。
モノを招いたらどうか。

頭脳が進歩しない学生のよう。
多くを招き入れればどうか。

煩悩の曼荼羅。
何もかも無くせば?

犯罪者の香り。
ちょうどいいラインは?

これはいい。
うちの個別学習塾そのものではないか。
自転車を招きたいと思った。

高校生。
友蔵も泣いていよう。
塾には常時2〜3人いてほしいことが分かった。
個別学習塾とは私の曼荼羅である。
読者もぜひ試されたし。
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