「私は誰だ、何を知っているのだ、誰を知っているのだ」と、グノーシス主義
「私は誰だ、何を知っているのだ、誰を知っているのだ」
エフェクチュエーションの言葉の元ネタはローマの詩人、ペルシウスにありそう。
以下、筒井賢治『グノーシス 古代キリスト教の〈異端思想〉』より。
「
ああ、哀れな者たち。
学べ、事物の理を知れ。
我々は何なのか、
何を生きるべく生まれるのか、
どのような(人生の)順序が与えられているのか、
その穏やかな終点は
どこにあり、
どうすれば到達できるのか。
神は、君にどのような者であれと命じたのか。
」
(ペルシウス『風刺詩』三・六六~七二)
ゴーギャンの絵のタイトルにも似ていたり、グノーシス主義のテオドトスの言葉にも似ている。
「
我々は誰だったのか、
我々は何になったのか。
我々はどこにいたのか、
我々はどこに投げ込まれたのか。
我々はどこに向かうのか、
我々はどこから解放されるのか。
誕生とは何か、
再生とは何か。
」
「人は宿命に支配されている」
「救われるためには「グノーシス」、つまり「知識」もしくは「認識」を得る必要がある。
それが救済の不可欠な条件だというのである。」
筒井賢治. グノーシス 古代キリスト教の〈異端思想〉 (講談社選書メチエ) (p.36). 講談社. Kindle 版.
・・・とっ散らかって何もできん
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