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#12 「行動変容という名のゲーム──私のヘルスケア事業失敗談と、そこから始まる探究の旅」
デデデータ!!〜“あきない”データの話〜 第10回「ヘルスケアアプリにも活用、行動変容テクノロジーとはー目標達成のメカニズムを解説ー」の話の台本・書き起こしをベースに、テキストのみで楽しめるようにnote用に再構成したものです。podcastで興味を持った方により、理解していただくために一部、リファレンスをつけています。
今回は「行動変容」の話。政治や投票行動のような大がかりな場面だけでなく、ダイエットやヘルスケア、環境対策など、日常でちょっとした行動を変えるだけでも、大きなインパクトにつながる。特に最近はウェアラブルデバイスやスマホアプリが普及し、睡眠の質から歩数、心拍数まで、さまざまなデータが簡単に記録できるようになった。そのデータをどう使うか、行動変容のテクノロジーにどう応用するかを掘り下げるのが今回の狙いだ。
ヘルスケア新規事業で見えた行動変容の仕組み
以前、私はヘルスケア領域で新規事業を立ち上げようとしたことがあった。企業向けの健康経営をテーマに、ウェアラブルデバイスとスマホアプリを組み合わせて、従業員の健康度を可視化し、行動を変えるサービスを作ろうと考えた。ところが、予算や導入ハードルが高く、なかなか採用してくれる企業が少なかった。最終的には事業化を諦めたが、実証実験を通じて、行動変容に必要なエッセンスをいくつも発見できた。
当時のアイデアはこうだった。
参加者全員にデバイスを配り、アプリと連動させて、歩数や心拍、睡眠状態などを自動記録する。その情報を基に「疲労状況」「アクティブ度」「集中度」を推定し、適切なタイミングでAIがアドバイスを与える。さらに、ゲームのようにアバターやクエスト要素を取り入れ、達成すればポイントがもらえる仕組みも用意した。たとえば、バーチャルの自分が太っていて、歩数が一定を超えるとアバターが強くなり、装備が豪華になる、といった具合だ。ありがちな企画だけど、リアルタイムのデータを活用するデータ分析やデータサイエンスにこだわったという点が違うところだろう。
実証実験で得た知見はいくつかある。たとえば
「インセンティブは参加率を高めるが、継続率にはあまり寄与しない」
「定期的なキャンペーンを繰り返すと、じわじわ参加者が増えていく」
「入力の手間を減らし、デバイスが自動で測定してくれるほど継続率は上がる」
といった点だ。
結局、行動変容の本質は、モチベーションよりも“習慣化”をいかにサポートするかにある。うまい仕組みを作れば、本人があまり意識せずとも自然に行動が変わっていく。そのためには心理学や行動経済学の知識が必要だと痛感した。
古典的な実験と行動変容の理論
行動変容を考えるとき、心理学や行動科学での実験が役に立つので、調べてみた。知っているのはどれくらいある!?
スキナーのオペラント条件づけ
行動に対して報酬を与えると行動が増え、罰を与えると減る。ポイントプログラムや期間限定キャンペーンの効果が典型例。バンデューラのボボ人形実験
観察と模倣(モデリング)によって行動が学習・変容する。インフルエンサー施策などもここに当たる。アッシュの同調実験
周囲が誤答すると自分も合わせてしまう「同調圧力」の強力さを示した。ランキング機能やグループ対抗の仕組みと似た心理が働く。トランスセオレティカルモデル(TTM)
行動変容を「前検討期」「検討期」「準備期」「行動期」「維持期」の5段階に分け、それぞれでアプローチを変える必要があるというステージ理論。ナッジ理論
デフォルト設定や比較表示の工夫で、人が自然に好ましい行動をとるように誘導する考え方。サラダを目立つ場所に配置して健康的なメニュー選択を促進するなどが典型的。
トランスセオレティカルモデル(TTM)の詳細とアプリでの活用事例
上記の中でも、ヘルスケアアプリにおいてよく取り入れられるのがトランスセオレティカルモデル(TTM)だ。米国の心理学者ジェームズ・プロチャスカ (James O. Prochaska) とカルロ・ディクレメンテ (Carlo C. DiClemente) によって提唱されたステージ理論として知られている。
5つのステージとアプローチ
前検討期
問題意識が低く、「変化しよう」とは思っていない段階。アプリでの例:「あなたの健康状態や習慣についてチェックしてみませんか?」と軽く促す程度。ユーザーに“当事者意識”を持ってもらうための気づきコンテンツを表示する。
狙い:「まだ全然興味がない」「必要性を感じていない」ユーザーに押し付けすぎると敬遠されるため、まずは情報提供や現状の気づきを与えるのが中心になる。
検討期
「変わったほうがいいかも」と思い始めるが、まだ行動に移るほどの準備ができていない段階。アプリでの例:「食生活を見直すと、こんなメリットがあります」というように、変化のメリットや成功事例を紹介。データの見える化と、他ユーザーとの比較情報をさりげなく提示して、興味を引く。
狙い:利益と損失(やらない場合のリスク)をバランスよく伝え、ユーザーのモチベーションを育てる。
準備期
「実際にやってみようかな」と思っている段階。行動に移る一歩手前で、意外とこの段階から本格導入してくれるユーザーが多い。アプリでの例:「明日から1日5分のウォーキングを始めましょう」と具体的な行動提案を行う。アプリ起動時に“目標設定ウィザード”を開き、ステップ・歩数・食事記録の方法などをガイドする。
狙い:具体的目標をユーザーと一緒に決め、続けやすい行動計画を提示。成功体験を得やすくするためのハードル設定が大事。
行動期
実際に新しい行動を始めたばかりの段階。ここでの継続サポートが不十分だと、再び元の習慣に戻ってしまうリスクも高い。アプリでの例:1日の歩数や食事記録を自動取得し、逐一フィードバックを与える。バッジ獲得やSNS連携機能を積極的に活用し、達成感を演出。
狙い:「自分はちゃんとやれている」というポジティブなフィードバックや、仲間からの承認が鍵になる。くじけそうな瞬間にサポートする通知(AIのプッシュメッセージなど)も効果的。
維持期
行動が習慣化し、ある程度定着している段階。ここのサポートがうまくいくと、長期的に望ましい行動が続く。アプリでの例:記録をさらに見やすくグラフ化し、過去との比較で達成度を強調する。期間限定イベントやマイルストーン設定で飽きさせない仕掛けも大事。
狙い:長期化を見据えた仕組みづくり。習慣が崩れないように“退屈”を防ぐゲーミフィケーションや、新しい目標設定がポイントになる。
アプリ事例:Noom、マインドフルネス系アプリなど
Noom(ダイエットコーチングアプリ)
ユーザー登録時に「あなたが今どのステージにいるか」を自己診断させるような仕組みを取り入れている。まだ意識が低いユーザーには、知識提供から始め、行動期に入っているユーザーには具体的な食事プランやフィードバックを強化する。さらに維持期になるとコミュニティ要素や自己反省(リフレクション)を深める仕掛けが増えていくのが特徴。マインドフルネス系アプリ(Headspace、Calm など)
瞑想にまったく興味のない“前検討期”ユーザーには、瞑想のメリットや短いガイド音声をまず体験してもらう。ある程度興味をもった“検討期〜準備期”ユーザーには無料トライアルや短いレッスンを提供し、実際に習慣化したい“行動期〜維持期”のユーザーには通知や上級コースの提案などを行う。学習系アプリ(Duolingo など)
語学の習得という長期的な目標は、途中で挫折する人が多い。そこでTTM的な「短いクイズから始める導入」「少し進んだらデイリーストリークや報酬を用意」「上級者向けのコンテンツを示す」など、ステージごとに異なるコンテンツやサポートを工夫している。
行動変容に必要な10のポイント(復習)
ヘルスケア新規事業で得た要点は、トランスセオレティカルモデル(TTM)のステージアプローチとも好相性だ。いずれのポイントも、ユーザーがどのステージにいるかで効果的なタイミングや内容が変わってくる。
インセンティブ(短期刺激)
限定要素(希少価値)
IPの活用(感情に訴える報酬)
自動入力(操作の手間をなくす)
成功者を真似する仕組み(社会的学習理論)
グループ要素(同調圧力・仲間効果)
タイミングを狙った介入(AI通知・変化点を狙う)
人間は怠ける前提(デフォルト化・簡便化)
データで二択を提案(比較提示)
選んだ感覚を持たせる(自己決定感)
TTMの視点を入れると、「前検討期のユーザーに派手なインセンティブをいきなり出しても逆効果」「行動期のユーザーに新しい学習コンテンツを提案すると効果的」といった形で、介入タイミングを見極めやすくなる。たとえば、検討期のユーザーには“成功者の事例”や“データ比較”をメインで見せる。一方、行動期のユーザーには定期的なアチーブメントやバッジをプレゼントするといった具体的な設計が考えられる。
ポケモンGOに見る行動変容の完成度
私が「最強の行動変容アプリ」とよく例に挙げるのが、ポケモンGOだ。期間限定のレアポケモンを捕まえるには外を歩くしかない。仲間と一緒にボスを倒したり、SNSで捕まえたポケモンを報告し合うのも楽しみの一つだ。
インセンティブはポケモンIPそのもの
レア度や個体値、期間限定イベントなど、絶妙に“稀少性”を演出。ステージ理論にも相性◎
あまりゲームに興味のない前検討期の人でも、周りの友達が盛り上がっていると「やってみようかな」と検討期に移行しやすい。そこから一度“行動期”に移ったら、新種のポケモンやイベントなどでモチベーションを維持できる。
こうやってハマっているうちに自然と運動量が増え、結果として健康効果が生まれる。本人は「ゲームを楽しんでいるだけ」なのに、行動変容が起きているのが面白い。私は子供がきっかけで最近使ってみたのだけど、ぜひやっていない人は触ってみて欲しい。(そもそも、ポケモンへの愛がある程度必要なのだが、それさえもやっているうちに好きになる)
その他のおすすめヘルスケア・行動変容アプリ
個人的におすすめなもの。
Sleep Cycle
睡眠を計測し、比較表示もできる。自分の睡眠の質を客観的に見ることで、前検討期の人にも「もしかして睡眠足りていないかも」と気づきを与えられる。Muse
脳波計測による瞑想のリアルタイムフィードバック。瞑想初心者が準備期〜行動期にスムーズに移るためのガイドが充実している。becoz challenge(DATAFLUCT)
環境問題をテーマに行動変容を促すゲーム要素入りアプリ。環境への意識がそれほど高くない人にも、まずは簡単なチャレンジを提示し、そこから準備期・行動期へ誘導しやすい設計になっている。(これはおすすめというより、弊社のアプリである)
教育と健康は人生で投資すべき大切な分野
「教育と健康」は人生で投資すべき対象としてよく挙げられる。そこにTTMのような理論と、データを取得しやすいウェアラブル・スマホアプリが組み合わさると、「やろうと思っているのに続かない」を克服しやすくなる。
学習アプリ、運動系アプリ、瞑想系アプリ、あるいは環境対策の取り組みも、段階的にユーザーを巻き込む仕組みを取り入れることで、より多くの人が最終的に「維持期」にたどり着く確率が高まる。そのためには前検討期から行動期までを丁寧につなぐ“TTM志向”の導線設計が重要だ。
データサイエンスが結びつく未来
ウェアラブルやスマホログの収集によって、ユーザーがいまTTMのどのステージにいるかをAIが自動推定し、最適なタイミングで最適なメッセージを送る──そんな世界がだんだんと現実味を帯びてきた。もちろん、行き過ぎた介入やプライバシー問題は注意点だが、うまく設計すれば一人ひとりに寄り添った行動変容サポートが実現できるだろう。
もし身近で「やりたいのに続かない」という行動があれば、TTMの考え方を踏まえ、どのステージにいるかを見極めてアプローチを変えてみてほしい。意外と小さな工夫やステップの提示で、モチベーションが大きく変わる。自分に合ったデバイスやアプリを選ぶことも継続の壁を低くする重要なポイントだ。
行動変容がデータとテクノロジーでどこまで可能になるのか。トランスセオレティカルモデルをはじめとする理論と実践を組み合わせながら、これからも追いかけていきたいテーマだ。
エピソードURL
参考文献・代表的文献
James Prochaska & Carlo DiClemente (1983). Stages and processes of self-change of smoking: Toward an integrative model of change.
B.F.スキナー (1938). The Behavior of Organisms: An Experimental Analysis.
Albert Bandura (1977). Social Learning Theory.
Solomon Asch (1951). Effects of group pressure upon the modification and distortion of judgments.
Richard H. Thaler & Cass R. Sunstein (2008). Nudge: Improving Decisions About Health, Wealth, and Happiness.
Daniel Kahneman (2011). Thinking, Fast and Slow.
TTMを含む複数の理論を知っておくと、行動変容をデザインするうえでのヒントがたくさん見つかるはずだ。ぜひ、アプリ開発や自分自身の行動変容に活用してみてほしい。