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否定すること


認知症のあるお年寄りには、否定しないで話を聞くことが大切、といったことをよく耳にする。

もちろんそれは大切なスタンスだ。認知症の方に限らず、誰だって否定してきた人の話は聞く気になれないものだ。まずはその人の味方とならなければ、こちらの話は聞いてもらえない。

とある認知症のあるおばあさんは間違えて人のコップを持っていってしまう。この時、「それおばあさんのじゃないですよ!」と間違いを指摘すると、おばあさんは途端に怒りだしてしまう。自分が間違っているはずがない、となかなか修正できない人は多い。

そこでさらに説明などして説得しようものなら、その怒りはますますヒートアップし、最早何に怒っていたのかわからないほどに。その出来事は忘れても、怒りだけがおばあさんの中に根強く存在してしまう羽目になる。

そこで「俺コップ間違っておばあさんの使ってもてましたわ!すんません!!」とおばあさんのコップを改めて手渡してみた。すると、

「ホントやね~気をつけてよ!」

そういっておばあさんは自分のコップを手にすることができた。間違えたのはこちらで、おばあさんを親切な方へと設定できた。

こうして誰も傷つかない空間となったのだ。

なぜ否定がダメかを考える



間違いを否定するのは簡単だ。僕らには、間違っていることが一目瞭然だから。ただ、間違いを指摘し、おばあさんを傷つけ、場の空気を淀ましてまでその指摘を行う必要があるのかどうかだ。

シンプルに、否定をしないようにしよう、という方法が述べられることがあるが、なぜそうすることが必要なのかを考えてみる必要がある。

でなければ、その方法が間違っている、僕らのやり方だけが悪い、と技術主義になっていく危険を孕んでいるのだ。さらに、ここまでやっているのにおばあさんは変わらない、この人はどうしようもない、という方法論に傾倒しがちな介護業界の落とし穴にハマってしまうことにもなる。

僕らの目的はその人らしい生活を作ること、穏やかな日々を支えることだ。間違いを指摘し、おばあさんを否定し、その場を収めることがそこに繋がるのかを考えなければならない。

つまり、否定することそのものが絶対ダメというわけではない。おばあさんに対して、「それちゃうで!」というだけで解決することもある。それはおばあさんとの関係や、その時の雰囲気、おばあさんの機嫌など、様々な要因を加味した上でなければならないが。

統一された回答はなく、常に複雑化した状況に対するアンサーが求められる。

そこが介護の難しいところであり、面白いところでもあるのだが。

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