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折り合いをつける過程


夕方になると帰りたいと言い、フロアを歩くおばあさん。帰宅願望なんて呼ばれて、職員たちからは敬遠される。また始まった、と揶揄される。
帰りたいなんて、職員が一番思っているだろうに。
二時間もなにもせずただ座っていることなど、興味がある映画でも流れてない限り無理だろう。なんてことを思ってみたり。

おばあさんは所在なさげに行ったり来たり。自分の居場所を探して彷徨い歩く。

「帰りたいんや…兄ちゃんどうしたらいい?」

「帰りたいか…家はどのへんなんすか?」

「この近くや~!」

近くなのか…それは実際の距離ではないことはわかっていた。わかっていて敢えて聞く自分を少し嫌になりそうになるが、その思いを覆うように、おばあさんの話にのってみた。

「ならついて行こか?」

「ええんか!ほなら行こう!」

フロアの職員に頼み、おばあさんの思いに付き合ってみることにした。
どこまで行くのか検討もつかないが、一時間はなにも言わず歩いてみようと決心した。

「どっちかなぁ~初めてやからなぁ~」

到達することのない目的地に向けて、おばあさんは歩き出す。

これでいいのだろうか…

なんて僕の思いを他所に、おばあさんはひたすら遊歩道を歩いていく。

…ということはなく、おばあさんは10分ほど歩いていると、

「はぁこれはわからんな、もう戻ろか!」

時間の許すかぎり、どこまでもついて行くぞ、という覚悟を嘲笑うかのように、おばあさんは笑顔でそう言い、来た道を颯爽と戻っていった。その顔はどこか満足気だった。


おばあさんはどこかで気づいているのかもしれない。それは言葉に出来るほど確かなものではないが、おばあさんは無意識にわかっている。自分が望む世界が目の前に現れることがないことも。

ただ納得はできない。自分は悪いことなどなにもしていないのに、この理不尽な状況を受け入れることはできないのだ。だから向かおうとするのではないか。自分が自分らしくあれる場所へと。

おばあさんが自分らしく居られるような環境を作り上げていこう、とは言うが、そう上手くいかない。
おばあさんはまたきっと帰ろうとするだろう。

僕らはその思いに文字通りただ沿うしかないのかもしれない。この辛い現実を一緒に嘆いてくれる人になるために。おばあさんが、いずれこの世界に折り合いをつけてくれるようになるその時まで。

完璧にはできないかもしれない。だが、帰宅願望と僕らが呼ぶ症状への対応ではなく、おばあさんの嘆きに付き合っていこうとする姿勢は、忘れずにおきたい。

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