「当たり前」が持つ力
入院生活が長かったおばあさん。寝たきりとなってしまい、自ら身体を動かすこともなくなり、お医者さんからは「もう長くないでしょう」と言われ、施設に入居してきた。
ご家族さんも半ば諦めている様子で、病院でのこと、お医者さんからそう言われたことを話してくださった。
さぁそこからが僕らの出番となるのだ。
「おばあさん、これからよろしくお願いします!」
差し出された手を、力強く握り返すおばあさん。あぁこれなら大丈夫だ。
まずは少しずつ離床時間を増やしていく。長期に渡っての入院生活だと、座るだけで疲れてしまうこともあるからだ。ところが予想に反して、おばあさんはゆうに1時間以上は楽に座っていた。こうなると後の介護は楽になる。なぜならケアの全ての起点は座位にあるからだ。
排泄ケアは、一日一回朝食後にトイレに誘導することから始めた。副交感神経が優位に働く朝、胃大腸反射を使って排便を促すにはうってつけだ。そこで排便があると、後は排尿のケアだけで済むので、とても楽になる。そのうち三食後トイレに座るようになり、随時座っても大丈夫になっていった。
食事ケアは、普通に座って口から食べることができていた。座位をしっかり保てていることが大きかったのか、最初は介助されて食べていたが、少しずつ自分で食べるように。最終的にはほぼ全て自分で食べることができるようになった。懸念されていたむせ込みや誤嚥なども、食事形態を少しずつ見直していくことで、大きな問題もなく経過した。元々能力にさほど問題はなかったようだった。
入浴ケアは、座位がとれるとわかってから、機械浴ではなく、普通の浴槽にチャレンジすることに。最初は怖がる様子もあったが、まずは座位でのシャワー浴。浴槽への出入りの仕方、介助方法を説明。恐る恐る入っては気持ちの良い瞬間を作っていく。そうやって繰り返すうちに、徐々に慣れていき、次第に入浴日を楽しみに待つようになった。
こうした「当たり前」の生活に向けた介護を繰り返すうちに、おばあさんはみるみる元気になっていき、最後は自ら歩けるようにまでなった。当然ほとんどのADLは自立し、「手のかからない人」となっていった。
ここまで回復した例は稀ではある。だが、まったくないわけではない。ここまでとは言わないまでも、十分に生活復帰したという話は、介護の世界ではごまんとあるのだ。
なんのことはない。それらのどの例も、ただ「当たり前」の生活を取り戻すべく、地道な取り組みを行っていっただけなのだ。
生活を剥奪された主体なき個人が、ただそこにあると考えているうちは、きっとこのような結果は生まれないだろう。
そういった環境に置かれているだけ、寝たきりで身体を動かすこともない生活になるような環境設定をされているだけ。その環境に目を向け整えていくことこそが僕らの生業だ。
もちろん、難しいケースも、改善が不可能な状態の方も当然存在する。そして、どのようなケアを行っていったとしても、最後は人は老いて病んで死んでいく。
ただ、「当たり前」の生活を目指すという意志だけは心得ておかなければならない。
「当たり前」がもつ力を、僕らは何よりも噛み締めている
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