つまづいて転んだ時は
ある日の明け方。職員から百歳を超えるおばあさんがベッドから滑落したと連絡が入っていた。
おばあさんは一人で立つことがほとんどできない。にもかかわらず、おばあさんは調子が良い時は一人で立ち上がろうとする。
当然、立つことはできないので、転ぶことになる。今回も恐らく、立とうとして転んだのではないかということだった。
おばあさんは助けにきた職員に対して、懸命に何かを話しかけ、しきりに大丈夫だということを訴えていた。座った後も、いつも以上に力強く手を合わせ、これでもかと拝み倒していたという。そのおばあさんらしい姿が容易に目に浮かび、報告を受け安心した。
おばあさんの転倒を防ぐだけなら簡単だ。紐で縛ってしまえばいい。ベッドに柵をして、動けなくすれば転けることもない。でもそういったことはしない。介護保険施設だから、身体拘束が禁止されているから、ということももちろんあるが、少しでもおばあさんの気持ちを汲んであげたいのだ。
おばあさんは自分の身体が衰えてきていることなんて、きっとわかってはいるんだ。ただ、同時にまだ立てると思いたい。だから転んだ時に、誰かに手伝ってもらうことに少し引け目がある。あ~やっぱり転けた~と。
そんな時。助けに来てくれた人にほんとはこうやって教えたいんだ。
大丈夫。つまづいて転んだだけ。起き方はちゃんと知ってるよ。一人で立てるんだよ。
それが上手く言葉にならず、取り繕うように、懸命に僕らに伝えようとする。
自分はまだ一人で立つことができるんだ。
おばあさんは一人で立つことがほとんどできない。その事実を受けとめて尚、おばあさんを縛ったり動けなくしたりせず、おばあさんの気持ちを汲んであげたいのだ。
だから怪我だけはしないように、厚めの布団をベッドの横に敷いて、そこに転げても大丈夫なようにした。
そしてまた転んだ時、いつもと変わらず手伝わせてほしいんだ。
大丈夫。わかってるよ。おばあさんが一人で立てること。ただ僕らが手伝いたいだけ。ただのお節介だ。
おばあさんはまた照れて恥ずかしがって取り繕うだろう。これ以上ない感謝を僕らに示すだろう。そうやっておばあさんがおばあさんでいられる瞬間をわずかでも大切にしよう。
僕らは紐の代わりでも、柵の代わりでもないんだ。
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